妙蓮寺(みょうれんじ)釈迦堂跡 題目板碑

 妙蓮寺(みょうれんじ)釈迦堂跡(千葉県鎌ヶ谷市東道野辺1-9-35)

   中山法華経寺を中心とする中世八幡庄域にある題目板碑で、題目板碑としては古い南北朝時代初期 建武三年(1336)の紀年銘がある。

妙蓮寺釈迦堂跡 題目板碑(南北朝時代初期 建武三年 1336年、緑泥片岩、高さ 32.5Cm 幅 23.3Cm)

板碑は上下を欠く断碑だが、中央に七字題目の下方・・・・蓮華経」、左に・・・・・尼佛」を残す。

下方、左右に「建武三秊(1336)、大才、丙子」、「四月廿五日」の紀年銘が完全に残り、中央下方に「敬白」の文字が読み取れる。

板碑はもと、中央に「南無妙法蓮華経」の題目、向って右に「南無多寶如来」、左に「南無釈迦牟尼佛」と刻む主題両尊(題目三尊)式の板碑であったと思われる。





左側刻銘:南無釈迦牟尼佛」










中央刻銘:南無妙法蓮華経」

主題両尊(題目三尊)式 板碑

刻銘:「四月廿五日」 刻銘:「建武三秊(1336)、大才、丙子

下方、左右に「建武三秊(1336)、大才、丙子」、「四月廿五日」の紀年銘が刻まれている。

本板碑は、鎌ヶ谷市の題目板碑では、万福寺境内遺跡から出土の文保三年(1319)銘に次いで古く貴重な板碑である。

当地は、中山法華経寺を中心とする中世八幡庄(やわたのしょう)域で、本板碑の建武三年(1336)は法華経寺 三世貫主 日祐(にちゆう)の代にあたる。

千葉県 市川市の泰福寺には、日祐上人の自筆による題目三尊板碑で、泰福寺の開祖「日寂」追善の為に造立した元弘二年(1332)銘 題目板碑がある。

妙蓮寺(みょうれんじ)釈迦堂跡 開発地(板碑出土地)

妙蓮寺は、鎌倉時代中期 弘安六年(1283)の開創で、日蓮上人の母公 妙蓮の誕生地に建立したと伝わっている。

また妙蓮寺には、「南無妙法蓮華経」のみを刻む永享四年(1432)銘の一遍主題式題目板碑が残っている。

 武蔵型 題目板碑(だいもくいたび)

武蔵型の題目板碑は、東京都 池上本門寺大坊 本行寺の正応三年(1290)銘が最古で、戸田市 妙顕寺の慶長三年(1598)銘を下限として日蓮宗寺院を主体造立

た。主に、南北朝時代以降に多く造られている。地域的には、千葉県(下総板碑を含む)が一番多く、他に埼玉県、宮城県、栃木県、大阪府、宮崎県などが知られている。

形式的には、大別して ①.「南無妙法蓮華経」のみを刻む一遍題目板碑、②.題目の向って右に「南無多宝如来」、左に「南無釈迦牟尼仏」と刻む主題両尊(題目三尊)形式、

③.題目を中心とした十界曼荼羅形式 の三種類がある。口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口

     ①.一遍題目板碑 

本立寺 題目板碑 (市指定文化財、鎌倉時代末期 元徳三年 1331年、緑泥片岩、高さ 167Cm 下幅 47Cm)

身部は輪郭を巻き、内に大きく「妙法蓮華経」、下方中央に「元徳三年(1331)」の紀年銘、左右に各三行 計六行の銘文を刻む。

     ②.主題両尊(題目三尊)式題目板碑

泰福寺(たいふくじ)題目板碑(市指定文化財、鎌倉時代末期 元弘二年 1332年、緑泥片岩、高さ 112Cm)

身部上方は、中央に「南無妙法蓮華経」の七字題目、左右に「南無多寶如来」、「南無釈迦牟尼佛」を刻み主題両尊(題目三尊)とする。

法華経寺第三世 「日祐」が、泰福寺の開祖 「日寂」の為、追善板碑として造立した。銘は日祐上人の自筆で、花押が刻まれた貴重なもの。

     ③.十界曼荼羅形式の題目板碑

妙昌寺 題目曼荼羅板碑(市指定文化財、室町時代中期 文明十三年 1481年、緑泥片岩、地上高 139Cm 下幅 44Cm)

中央にひげ文字で題目、その左右に釈迦・多宝の脇侍、上下四方は四天王で固め、中央左右に不動・愛染の種子を配す。さらに、大日天王・大月天王、

鬼子母神・十羅刹女を加え、その下に「南無日蓮大聖人」を中心として妙昌寺開基 日頂上人、日仙上人を配し、文明十三年(1481)在生時 日耀と銘する。

妙昌寺題目曼荼羅板碑、下部

 西福寺(さいふくじ)五輪塔                                石仏と石塔-目次!

妙蓮寺釈迦堂跡 題目板碑(南北朝時代初期 建武三年 1336年)

 板碑(いたび)

*妙蓮寺釈迦堂跡題目板碑は、鎌ヶ谷市 岡田征弘氏 蔵。

(※ 妙蓮寺釈迦堂跡題目板碑関係の写真は全て、岡田征弘氏の提供によるものです。)