般若寺(はんにゃじ)(奈良県奈良市般若寺町221)
寺伝によれば、飛鳥時代に高句麗僧 慧灌(えかん)法師によって開創された。建長七年(1255)叡尊により復興され、以後は真言律宗の寺院となった。
般若寺(はんにゃじ)十三重石塔(重要文化財、鎌倉時代中期 建長五年 1253年、花崗岩、高さ 14.2m)
阿弥陀如来坐像(初層軸部、顕教四仏西面) | ||
十三重石塔は、境内中央に立ち、堂々として美しい。相輪は後補。 | 弥勒如来坐像(初層軸部、顕教四仏北面) |
十三重石塔は、鎌倉時代に東大寺再建の石工事に従事した、宋人 伊行末(いのゆきすえ)一派の代表作である
昭和39年(1964)の解体修理の際、第四層軸部から発見された「宋版法華経」を納める木箱の身、右側面に「口長五年(1253)、癸丑、卯月八日奉籠之」の墨書が
あり、干支から建長五年(1253)となり、十三重石塔の造立年代を知る貴重な手懸かりとなった。また、境内に立つ伊行末の嫡男 伊行吉(いのゆきよし)が建立した二基の
笠塔婆の銘文により、般若寺大石塔(十三重石塔)は、伊行末一派の造立になると認められている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初層 軸部
四隅は面取りとし、各面に二重円光背を負い蓮華座に坐す顕教四仏(西面:阿弥陀、北面:弥勒、東面:薬師、南面:釈迦)を画面いっぱいに線刻する。
初層軸部の上端に方形の納入孔があり、金剛舎利塔・金銅五輪塔・水晶五輪塔が発見されている。尚、第四層からは宋版細字法華経と上記木箱
、第五層からは銅製如来像と仏像他、第八層からは銅造十一面観音、江戸時代の木造仏・経巻・曼荼羅など多数の納入物が発見されている。・・・
薬師如来坐像(初層軸部、顕教四仏東面) | ||
釈迦如来坐像(初層軸部、顕教四仏南面) | 初層屋根が大きく安定感があり、上層にかけての逓減率も素晴らしい |
宋人石工 伊行末が来日し、治承の乱で焼けた大仏殿再興工事の修復に携わった当時は、日本の花崗岩は硬く彫刻に困難として母国 宋より軟質の石材を取り寄せ
東大寺石獅子等の作品を残している。その後、伊行末一派が、日本産の硬い花崗岩を素材にして、日本的な形式の大蔵寺十三重石塔や般若寺十三重石塔を造立
する。般若寺十三重石塔は、その金字塔ともいえる作品で、これ以降 花崗岩により多数の作品が作られるようになり、石造美術の全盛期を迎える。・・・・・・・・・・・・
初層・二層屋根
軒は緩やかに左右にのび、両端で力強く反る。また、軒下に一重の垂木型をつくる。二層は、江戸時代の後補で軒下の垂木型はない。
通常、屋根石は上部に枘(ほぞ)を作り継ぎ合わすが、般若寺の屋根石は上端が扁平で各層、枘(ほぞ)なしに積み上げられている。
相輪は、下から露盤・伏鉢・請花・九輪・水煙・竜車・宝珠で、露盤も含め、一石で作る。当初の相輪は、十三重石塔の横に置かれている。 |
当初の相輪は、昭和の初め、旧境内地をを分断して通された国道の開削工事中に発見された。
基 礎
低平で、上端に薄い一重の軸部受けの座を作る。
般若寺楼門(国宝、鎌倉時代 1267年頃、本瓦葺、一間一戸楼門、入母屋造)
楼門の奥に十三重石塔が見える
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* JR奈良・近鉄奈良駅より奈良交通バス 青山住宅行乗車、「般若寺」下車 徒歩5分。般若寺の境内には、石塔部材群と呼ばれる室町~戦国時代にかけての五輪塔、宝篋印塔、石仏などが多数ある。松永弾正が築いた多門城の遺品という。
(撮影:平成19年2月11日・平成20年3月5日、平成24年9月5日)