元興寺(がんごうじ)石灯籠

 元興寺(がんごうじ)(塔址)石燈籠(奈良市芝新屋町12)

   「啼き燈籠」の名で知られた名品で、昭和19年(1944)に地震で倒壊し破損、平成22年(2010)に元の姿に修復された。正嘉元年(1257)の在銘。

元興寺(がんこうじ)石燈籠 (旧重要美術品、鎌倉時代中期 正嘉元年 1257年、花崗岩、高さ 約250Cm)

頂部、請花はなく、形のいい宝珠が載る。
石燈籠は、元興寺塔址の本堂 正面に立っている。 火袋は、火口一面、仏像二面、壁面三面(一面は上区開口)とする。

燈籠は、昭和19年(1944)の地震で倒壊。その後長い間放置されていたが、平成22年(2010)に66年ぶりに修復されている。

紀年銘を有する石燈籠では、旧 鴻池家石燈籠東大寺法華堂(三月堂)石燈籠道明寺天満宮石燈籠に次いで古く、白沙山荘石燈籠と同年同月銘。

笠は、屋根の曲線もゆるやかで古式。蕨手(わらびて)は、全て欠失する。

火 袋

火袋は、六面とも上区を横連子、下区を二区格狭間にし、中区は火口一面、薬師坐像一面、

阿弥陀坐像一面、上半縦連子が二面・開口面が一面で下半は三面とも壁になっている。

 
火袋、定印 阿弥陀如来坐像   火袋、薬師如来坐像(右手 与願印、左手 薬壺) 

中 台

中台は古式の蓮台式で、上端に一段の請座を設け、下端は大きい単弁の蓮弁を刻出する。

 
竿は円柱で、三節の帯は、ふくれて鎌倉時代風。  竿の刻銘:「正嘉元年(1257)、丁口 」

竿の中節を挟んで、摩滅しながらも刻銘がある。(刻銘は、江戸時代に書かれた「擁書漫筆」には、延元元年(1336)と記されていたが、高田十郎氏の研究により正嘉元年(1257)と判明した。)

刻銘:「正嘉元年(1257)、丁口、四月・・・・、願主口・・・・・人・・・・・衆等」

元興寺(がんこうじ)石燈籠 (旧重要美術品、鎌倉時代中期 正嘉元年 1257年)

鎌倉時代中期 正嘉元年(1257年)銘があり、石燈籠史上に欠かすことが出来ない名品。

基 礎

上端は複弁反花、側面は二区で各々格狭間を陽刻する。

陽刻の格狭間はこの時代には例がなく、上端の蓮弁の形にしても違和感がある。

※ 常識から言えば、格狭間を陽刻するといった手法は江戸時代である。それに加えて上端の連弁は鎌倉時代のものとは受け取りにくい形である。(「燈籠・手水鉢」 川勝政太郎 著)

参考:同じ1275年に制作された道明寺天満宮石燈籠白沙山荘石燈籠

本石燈籠と同型の石燈籠には、法隆寺石燈籠(鎌倉時代中期)があり、笠の蕨手(わらびて)も残っている。

元興寺(がんごうじ)五重塔跡

奈良時代に建てられた五重塔(高さ 約57m)は、江戸時代後期 安政六年(1859)に火災により焼失した。現在、礎石が十七個残っている。

 十輪院(じゅうりんいん)不動石仏・合掌菩薩                  石仏と石塔-目次!

元興寺(がんごうじ)塔址 (国指定史跡)

 石燈籠(いしどうろう)

*近鉄・JR奈良駅から徒歩。

(撮影:平成27年12月25日)