福田寺(ふくでんじ)宝篋印塔

 福田寺(ふくでんじ)(長沢御坊)(滋賀県米原市長沢1049)

  近江の豪族 息長宿称(おきながすくね)が白鳳十二年(684)に建立したのが起源と伝えられ、中世に浄土真宗に改修。改修後、湖北の真宗教団の中心的寺院として発展した

福田寺(ふくでんじ)(長沢御坊)宝篋印塔(鎌倉中期後半〜鎌倉後期前半、花崗岩)

相輪は欠失し、宝珠型の石が載っている
宝篋印塔は、本堂に向かって左手側の奥に祀られている 塔身も欠失し、形のいい五輪塔の水輪を使っている

宝篋印塔 笠

笠は、下の段がなく上七段、隅飾は一弧無地で古式をしめす

上の段が七段のものは、県内の善勝寺(二基、東近江市)曹源寺(東近江市)、いずれも鎌倉時代中期の宝篋印塔がある

見どころは、古式の笠と三茎蓮文様の基礎。近江で早期に三茎蓮文様が見られるのは、宝篋印塔では、田中神社の永仁2年(1294)塔

層塔で近江文様が早期に見られるのは、鎌倉時代中期では、安養寺跡塔(寛元四年:1246年)松尾寺塔(文永七年:1270年)など

基  礎

基礎上端は二段、側面は 正面と向かって右側面が、輪郭を巻き格狭間内に三茎蓮文様を陽刻する。他の二面は表面が壊れている

笠、上段七段でピラミッド型、隅飾りはやや小さい 基礎、向かって右面の三茎蓮文様

宝篋印塔は、後鳥羽天皇の供養塔と伝えている

福田寺(長沢御坊) 本堂

延徳年間(1489〜1491)に、浄土真宗中興の祖 蓮如上人が三ヶ年にわたり滞在した

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福田寺(ふくでんじ) (長沢御坊)

織田信長と一向宗の戦いにおいて、住職 覚芸は、福田寺門徒 四千五百余人と同志二万数千人の総頭領として戦った

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*JR北陸本線「田村駅」下車 南方向へ徒歩 約10分。

(撮影:平成21年11月30日)