光明坊(こうみょうぼう)十三重石塔

 光明坊(こうみょうぼう)(広島県尾道市瀬戸田町御寺757)

  天平二年(730)聖武天皇の勅願により僧 行基により開基されたと伝えられる。現在真言宗泉涌寺派の寺院

光明坊十三重石塔(重要文化財、鎌倉時代後期 永仁二年 1294年、花崗岩、高さ 815Cm)

初層軸部、月輪内蓮座上に金剛界四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀)
十三重石塔は奈良西大寺の僧 忍性(にんしょう)により建立された 初層軸部、月輪内蓮華座上に金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就)

屋根は軒が厚く、強い軒反(のきぞり)をしめす

見事な書体で金剛界四仏の種子を薬研彫りする(ウーン:阿閦如来)
初層軸部、月輪内蓮座上に金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生如来) 初層屋根上端中央に奉籠孔があり経巻などが発見されている
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基礎側面に「釈迦如来遺法、二千二百二二十参年、奉造立之、永仁二年甲午七月日」の銘文がある 永仁二年(1294)部分の刻銘
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永仁二年(1294)に建立され、この年は釈迦入滅後2,243年目にあたる。仏滅後の年数を刻むことは平安時代から始まった末法思想によるものという
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相輪は頂部の宝珠のみが明治時代の後補。層塔西側(上:右写真)の基壇上に台石(だいせき)があり、大工心阿の刻銘がある

大工心阿の名は、箱根宝篋印塔の正安二年(1300年)の追刻、鎌倉 安養院宝篋印塔(徳治三年:1308年)、広島県三原市の宗光寺七重石塔にみられる

十三重石塔西側台石

台石は他の石塔の部分で「永仁六年戊戌、四月廿九日造立之、願主名善、大工心阿の刻銘がある。十三重石塔から四年後の永仁六年(1298年)の銘

光明坊

十三重石塔は、門を入ってすぐ、右手側に立っている

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瀬戸田BS(バス停)からの風景

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*尾道港・三原港より船で瀬戸田港へ。瀬戸田港から本四バスに乗車、「光明坊バス停」下車、北へ徒歩5分。または福山駅から今治駅行き高速バスに乗車、「瀬戸田BS」下車 徒歩10分

(撮影:平成20年5月26日)