光明坊(こうみょうぼう)(広島県尾道市瀬戸田御寺757)
光明坊五輪塔(左側二基が古く鎌倉時代、町指定文化財)
光明坊五輪塔(向かって左端:法然上人の墓と伝えられている)
五輪塔 風・空輪 (一石でつくられ安定感がある) | ||
光明坊五輪塔(町指定文化財、鎌倉時代、花崗岩、高さ 152Cm) | 五輪塔 火輪 (軒は厚くゆるやかに反っている) |
五輪塔は、四面の各輪に四門(東:発心門、南:修行門、西:菩提門、北:涅槃門)の梵字を刻んでいる
五輪塔 水輪 (ほぼ球形) | 五輪塔 地輪 (上面に水垂れ勾配をつけている) |
光明坊五輪塔(左から二基目:後白河法皇の息女、如念尼公の墓と伝えられている。水輪が下膨れ形で有名な五輪塔)
五輪塔 風・空輪(一石でつくられている) | ||
光明坊五輪塔(町指定文化財、鎌倉時代、花崗岩、高さ 150Cm) | 五輪塔 火輪 (軒の反りはゆるやかで隅の反りを強調する) |
五輪塔は、四面の各輪に通常の四門の梵字ではなく、「ア・バン・ラン・カン・ケン」の大日如来法身真言を刻んでいる
五輪塔 水輪 (下膨れ形の水輪として有名) | 五輪塔 地輪 (低めで、上面に水垂勾配をつけている) |
光明坊五輪塔(向かって右から一・二基目の五輪塔)
五輪塔(右から二基目)松虫の墓と伝えられている(町指定文化財) | 五輪塔(向かって右端)鈴虫の墓と伝えられている(町指定文化財) |
松虫、鈴虫は今出川左大臣の息女で容姿端麗、後鳥羽上皇に召され寵愛された。両姫は法然上人の説法を聞き出家を決意、法然の弟子、住蓮坊・安楽坊に出家を
申し出、受け入れられた。後鳥羽上皇は激怒し、住蓮坊・安楽坊は打ち首に、法然は讃岐国に流罪。両姫は如念尼公に連れられ当地に同行したと伝えられている
石槽(鎌倉時代)(浴槽施設の石湯槽で熱した湯を槽に入れ使用した)
石槽(町指定文化財、長さ 160Cm・幅 82Cm・高さ 60Cm・深さ 40Cm) | 石槽(町指定文化財、長さ 176Cm・幅 120Cm・高さ 70Cm・深さ 59Cm) |
光明坊十三重石塔(重要文化財、鎌倉時代後期 永仁二年 1294年、花崗岩、高さ 815Cm)
向上寺三重塔(国宝、室町時代 永享四年 1432年、本瓦葺、高さ 19.52m)
(瀬戸田港のバス停付近で撮った)
五輪塔紀年順 | 慈尊院(じそんいん)五輪塔 二基(鎌倉時代) | 五輪塔-紀年順-目次 |
*尾道港・三原港より船で瀬戸田港へ。瀬戸田港より本四バスに乗車、「光明坊バス停」下車、北へ徒歩5分。または福山駅から今治駅行き高速バスに乗車、「瀬戸田BS」下車、南へ徒歩10分
(撮影:平成20年5月26日)