慈尊院(じそんいん)(和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832)
「女人高野」、弘法大師母公の寺として親しまれている高野山真言宗の別格本山。高野山表参道(町石道)の入口
慈尊院五輪塔 南塔(町指定文化財、鎌倉時代、砂岩、高さ 240Cm 幅 86Cm)
慈尊院五輪塔 北塔(町指定文化財、鎌倉時代、砂岩、高さ 225Cm 幅 78Cm)
慈尊院五輪塔 南塔、軒口は厚く、四門の梵字は刻まれない | 慈尊院五輪塔 北塔、四面各輪に四門の梵字が刻まれる |
弥勒堂西側の玉垣内にあり、承安元年(1171)に慈尊院が全焼した後、灰塚として建てられたもので二基とも紀年銘はない。南塔の方が古い
慈尊院板碑群
多宝塔の裏手に、不食供養、六斎念仏 等の自然石を利用した板碑が立っている
慈尊院六字名号板碑(桃山時代 文禄四年 1595年、緑泥片岩、高さ 176Cm)、上部に阿弥陀三尊(勢至・阿弥陀・観音)の種子 |
中央の名号(南無阿弥陀仏)を挟んで多数の名前、右端に「慈尊院六斎念佛結縁衆逆修也文禄四年(1595)乙未」の刻銘がある
六斎(ろくさい)念仏:踊念仏(おどりねんぶつ)の一種で、月のうち8・14・15・23・29・30の6日(六斎日)に行われた
板碑(江戸時代中期 元禄九年 1696年)部分
南無阿弥陀仏の左側に多数の女性名が、左端に不食結集中の刻銘。右側は男性名、右端に念佛誦衆中の刻銘がある
不食供養:毎月1日の不食(断食)を3年3月にわたって行うか、千日行えば現世は安穏で、往生できるという信仰
板碑(江戸前期 明暦二年 1656年)、不食講結集の逆修供養 | 地蔵石仏(桃山時代 慶長五年 1600年、砂岩、高さ 112Cm) |
光背上部に地蔵菩薩の種子「カ」が、両側に下記の刻銘が刻まれている。大きい鼻、唇が盛り上がっているのが特徴的。
地蔵石仏の刻銘:「権大僧都隆乗逆修備前之岡山下新城村住呂」「慶長伍秊(1600)庚子二月二十四日法主威厳敬白」
高野山百八十町石五輪卒塔婆(国史跡、鎌倉時代中期 文永九年 1272年、花崗岩)
町石(ちょういし)は、慈尊院から高野山大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆が立てられている
百八十町石(ちょういし)は高野山表参道(町石道)の最初の町石で、丹生官省符神社石段の石鳥居(町文 宝永二年 1705年)横に立てられている
丹生官省符(にゅうかんしょうぶ)神社石段(県指定文化財、江戸時代中期 、119段 高さ 約20m 幅 約4m)
下の十二段は、延享五年(1748)に寄進され、それより上の石段は宝暦三年(1753)に氏人からの浄財により建設された
弥勒堂(重要文化財、内部は鎌倉時代 外部は室町時代、宝形造、桧皮葺)
弘法大師御母公廟で本尊は国宝の弥勒菩薩坐像(平安時代)
慈尊院の手前、畑に咲いていた牡丹(ぼたん)(2009.4.24撮影)
丹生都比売(にうつひめ)神社 五輪卒塔婆群と板碑 石仏と石塔-目次!
慈尊院(じそんいん)多宝塔(室町時代後期 江戸時代改修、銅板葺、高さ 約15m)
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*南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Km
(撮影:平成20年10月7日、平成21年4月24日)