宗光寺(そうこうじ)の石塔

 宗光寺(そうこうじ)(広島県三原市本町3-11-1)

 石造九重塔

石造九重塔(市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁年間 1293〜1299年、花崗岩、高さ 250.3Cm)

塔身、月輪の中に金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就)
相輪が欠落しており、そろっていれば十尺塔(高さ 約 300Cm) 塔身、月輪の中に金剛界四仏の種子を刻む(ウーン:阿シュク)

塔身、月輪の中に金剛界四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀)

銘文はキリークの面の左右に刻まれていたが向かって右側は剥脱している。

左側に 「大工心阿」 「第二天造立之 沙弥了□」 の文字が印刻されている

塔身の背面は火に罹ったため種子(タラーク:宝生)が剥落している
基礎は、大きく薄く格狭間を彫りしずめる 造立年代は永仁(1293〜99)ごろといわれている

 宗光寺 石造宝篋印塔(福島正之の墓)

  福島正之(1579〜1601)は、福島正則の養子。正則は関ヶ原の戦後、芸備49万8200石に封ぜられ広島に入国。このとき正之を三原城に置いた

石造宝篋印塔(越智式)(市指定文化財、安土桃山時代〈室町時代後期の様式〉、高さ 177Cm)

隅飾は二弧で内は無地
基礎と塔身の間に方形の受台をいれるのは、この地方の特色(越智式) 基礎の側面に格狭間を入れ、上端の反花は複弁とする

 石造五輪塔(浅野忠長の墓)

  浅野忠長(1592〜1660)は、三原城主の二代目。万治三年(1660)広島で死去

空・風・火輪(夫々に文字が刻まれている)
石造五輪塔(市指定史跡、江戸時代初期、高さ300Cm) 水輪(中央に水の文字が刻まれている)

地輪(地の文字が刻まれる)

初代忠吉(ただよし)にはあととりがなかったため、忠吉の次女の子であった忠長が養子に迎えられあとを継いだ

宗光寺山門(重文、桃山時代の特色を持つ)

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宗光寺(そうこうじ)本堂

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*JR[三原駅」下車、徒歩 約10分

(撮影:平成19年8月12日)