多胡碑(たごひ)(群馬県高崎市吉井町池1095)
那須国造碑(栃木県)、多賀城碑(宮城県)とともに日本三碑と呼ばれる。和銅四年(711年)、中央政府の命により、「多胡郡」が設置され、その記念碑が多胡碑とされる。
多胡碑(たごひ) (国史跡、奈良時代中期 和銅四年 711年、砂岩、高さ 152.5Cm 幅 60Cm)
碑身は、ほぼ方柱だが上部がわずかに細まる。下端に枘が出て、その正面に「国」の字があるという。正面に下記の碑文を刻む |
碑文:「弁官符、上野国片岡郡、緑野郡、甘楽郡、并三郡内三百戸、郡成、給羊、成多胡郡、和銅四年(711)三月九日甲寅
、宣左中弁正五位下多治比真人、太政官二品穂積親王、左大臣正二位石上尊、右大臣正二位藤原尊」の六行八十字。
多胡碑記念館にあるパンフレットの現代語訳:「朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘楽郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに
郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(711)年三月九日甲寅。左中弁正五位下多治比真人(三宅麻呂)による宣旨である。
太政官の二品穂積親王、左大臣正二位石上(麻呂)尊、右大臣正二位藤原(不比等)尊」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多胡碑 笠
笠は、ほぼ方形で低い方錐の屋根になっている
「多胡郡和銅四年」の刻銘(右から二行目) | 多胡碑 向かって左側面(素面) |
書体は楷書体で中国の六朝風を残すといわれ書道史上高く評価されている。地元では、「羊太夫伝説」があり、「ひつじさま」として信仰されているという
多胡碑 向かって左側面(素面) | 多胡碑 背面(素面) |
多胡碑は、山上(やまのうえ)碑、金井沢(かないざわ)碑とともに上野(こうずけ)三碑とも呼ばれている
指定 | 名称 | 制作年 | 石質 | 高さ(Cm) | 所在地 | 備考 | |
山上碑(やまのうえひ) | 天武十年(681年) | 輝石安山岩 | 120 | 群馬県高崎市山名町 | 墓碑 | ||
多胡碑(たごひ) | 和銅四年(723年) | 砂岩 | 152.5 | 群馬県高崎市吉井町 | 記念碑 | ||
金井沢碑(かないざわひ) | 神亀三年(726年) | 輝石安山岩 | 110 | 群馬県高崎市山名町 | 誓願碑 |
上野三碑(奈良時代の石碑) 一覧
多胡碑の収蔵庫
内には入れない。正面はドア越し、他の三面は窓越しに見ることができる
*上信電鉄「吉井駅」下車、北東方向へ徒歩 約20分。吉井駅で無料のレンタサイクルが利用できる。
(撮影:平成22年4月7日)