山辺(やまべ)濡れ地蔵磨崖仏 (奈良県宇陀市榛原山辺三)
鎌倉時代中期 建長六年(1254)銘の貴重な在銘磨崖仏で、堂々たる姿を見せるが、残念ながら室生ダムの増水時には水没している。
山辺(やまべ)濡れ地蔵磨崖仏 (鎌倉時代中期 建長六年 1254年、安山岩、高さ 184Cm 像高 136Cm)
球状にせり出した岩面中央を舟形に彫りくぼめ、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像を半肉彫りする。 |
光背面の左右に三体ずつ、六地蔵立像が墨画で描かれていたという。また、舟形の左右に太山王と閻魔王が線刻されていて、地蔵十王の信仰が伺える。
地蔵 上半部
線刻の頭光を負った姿で、重厚感があるお顔や大きな錫杖頭など丁寧に力強く刻んでいる。
お顔は、目から鼻にかけ傷んでいるが気にならない。額の白毫や喉(のど)の三道、的確な衣紋の線刻、裾の部分が破損しているのが気にかかる。 |
大田古朴氏は自著「大和の石仏観賞」(綜芸舎)で、「舟形のやや深い彫り込みに半肉浮き彫りとし、
首飾りや錫杖を線彫りであらわす手法と形状は建長六年の洞の地蔵と同作者と考えられる。」と述べている。
地蔵像 下方
裾の部分から下を破損する。
閻魔王(えんまおう)(向って左側の線刻脇侍) | 太山王(たいざんおう)(向って右側の線刻脇侍) |
太山王は、冥府の支配者で人間の寿命を支配する。通常、左手に人頭幢を持っている。奈良市 念仏寺に太山王の石像がある。
また、閻魔王は地獄の王として、人間の死後に善悪を裁く者とされる。通常、右手に笏を持っている。滋賀県湖南市の少菩提寺跡に閻魔石像 がある。
地蔵十王石仏は、奈良市にある 新薬師寺の地蔵十王石仏 や空海寺の地蔵十王石仏.、三重県伊賀市の治田(はった)地蔵十王磨崖仏 が有名。
向って右側上部の刻銘
線刻太山王の上部に、二行にわたり「建長六年(1254)甲寅、八月十五日造」の紀年銘がある。
水没時の地蔵磨崖仏
向って左側、逆三角形の岩の中程に黒い横線がある。これが水没時通常の水面。
渇水期の地蔵磨崖仏
向って左側上部、逆三角形の岩の中程に黒い横線がある。これが水没時通常の水面。
山辺(やまべ)濡れ地蔵磨崖仏 (鎌倉時代中期 建長六年 1254年、像高 136Cm)
「地蔵山」と呼ばれる小山の北麓、伊勢表街道(青越道)沿いにあり、山から滴る水で、常に濡れている所から濡れ地蔵と呼ばれていた。
*近鉄大阪線 「榛原駅」下車、駅前から宇陀市有償バス(1回 300円)榛原-大野線に乗車、「山辺バス停」下車、南方向へ徒歩 約 6分。室生ダム増水時は、水面下になる。
[撮影:平成23年12月22日(水面下)、平成25年6月13日]