大迫寺跡(おおさこじあと)(宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)
全国的に数が少ない多宝塔で、屋根や相輪が南北朝時代風に細かく細工されている。紀年銘はないが南北朝時代のものと思われる。
大迫寺跡(おおさこじあと)多宝塔 (県指定文化財、推定:南北朝時代 、凝灰岩、高さ 167Cm)
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大迫寺跡石塔群内、中央後方 正平二十五年銘板碑の向かって右側に立つ。紀年銘はなく、軸部正面に「律師 弘恵」と刻まれている。 |
相 輪
露盤は側面二区で内に格狭間を作り、上の伏鉢・請花とも一石。残念ながら九輪以上を欠失する。
上層 屋根
軒・降棟とも緩やかに反り、軒下は細かく二軒繁垂木を作っている。
亀 腹
下層屋根と亀腹は一石からなり、その上に通常ある勾欄や首部(二層軸部)が欠けている。
初層 屋根
軒は両端で反り、軒下は二軒繁垂木を作っている。
宝塔では南北朝時代に造立された鹿児島市の川田堂園 宝塔(榮尊塔)や奈良県黒滝村の鳳閣寺 宝塔が、笠裏に二軒繁垂木を刻んでいる。
初層 軸部
正面に「律師弘恵」の刻銘がある。
「九州の石塔 下巻」で著者の田隈豊秋氏は、左横に立つ正平二十五年(1370)銘の
三十三回忌供養板碑と同人物の墓塔として、本塔を延元二年(1337)の造立と推定している。
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本石塔刻銘:「律師弘恵」 |
正平二十五年銘板碑刻銘:「先師(方口)恵 」 |
基 礎
南北朝風の細かく細工された相輪や屋根と比べ、シンプルで彫刻や刻銘はない。
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大迫寺跡(おおさこじあと)多宝塔 (県指定文化財、推定:南北朝時代 、凝灰岩、高さ 167Cm)
大迫寺跡(おおさこじあと)多宝塔 (県指定文化財、高さ 167Cm)
向って左側が、正平二十五年銘板碑。
*JR日南線 「飫肥駅」下車、西方向へ 徒歩 約40分。駅前にレンタサイクルがある。
(撮影:平成26年 5月29日)