雄島(おしま)(宮城県宮城郡松島町松島海岸)
雄島南端、 頼賢行状碑が納められた堂の前(北側)に立つ石塔婆で、鎌倉時代後期 正安元年(1299)に紀年銘と偈(げ)を刻む。
雄島(おしま)胎蔵界大日種子自然石塔婆 (鎌倉時代後期 正安元年 1299年、粘板岩、高さ 105Cm 幅 31Cm) |
雄島(おしま)では、紀年銘がない石塔婆を含み約70基が確認されているが、紀年銘があるものは、鎌倉時代後期に集中している。
石塔婆上部、蓮座上月輪内に胎蔵界大日如来の種子「ア」を刻む。 | 石塔婆下部、刻銘は上段に偈(げ)、下段に銘文を刻む。 |
偈(げ) (唐・湛然、法華文句記の文が出典)
偈(げ):「本観理是(ほんかんりぜ)不観染除(ふかんぜんじょ)染体自虚(ぜんたいじこ)本虚名滅(ほんこみょうめい)」
[ もとより理(ことわり)を是(ただ)しく観ずれども、染(煩悩)を除くことを観ぜず、染体は自から虚しいもので、もとより虚は滅と名づくものである。 ]
偈(げ)(拓本)
偈(げ):「本観理是(ほんかんりぜ)不観染除(ふかんぜんじょ)染体自虚(ぜんたいじこ)本虚名滅(ほんこみょうめい)」
刻銘:「正安元年(1299)七月十三日」 | 石塔婆 下部に、願文と紀年銘が刻まれている。 |
銘文は、中央に「正安元年(1299)七月十三日」の紀年銘、左右 各二行に願文を刻む。
雄島(おしま)(宮城県宮城郡松島町松島海岸)
雄島の最も高い場所にある座禅堂周辺に立つ板碑で、種子「アク」を主尊する。鎌倉時代後期 正応二年(1289)の在銘。
雄島(おしま) 種子板碑 ( 鎌倉時代後期 正応二年 1289年、安山岩 )
安山岩製の板碑で、塔身上部に種子「アク」を薬研彫し、下部に鎌倉時代後期 「正應二年(1289)、己丑、三月一日」の紀年銘を刻む。 |
松島の初期板碑は瑞巌寺周辺で造立されているが、弘安八年(1285)を境にその主体を雄島(おしま)に移し、南北朝時代末 明徳二年(1391)を下限とする迄 造立された。
天台宗延福寺から将軍御祈祷所 円福寺(瑞巌寺)として正元元年(1259)頃に臨済宗に改宗、改宗後もその天台宗の系統が雄島(おしま)の板碑(石塔婆)の作製を支えた。
板碑 頭部
頭部を山形に成形する。
板碑 上方
種子「アク」を格調高く薬研彫する。
「アク」の仏尊は胎蔵界大日、不空成就如来、釈迦如来、普賢菩薩、金剛薩埵などがある。
刻銘:「正應二年(1289)、己丑、三月」 | 正応二年(1289)は、雄島に板碑が立てられた初期にあたる。 |
雄島(おしま)、他の代表的石塔婆
指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
雄島(おしま)曼荼羅自然石塔婆 | 徳治三年(1308年) | 宮城県宮城郡松島町松島海岸 | |
雄島(おしま)種子雷文自然石塔婆 | 正和二年(1313年) | 宮城県宮城郡松島町松島海岸 |
石窟に安置されている石仏(雄島)
朱塗りの渡月橋を渡った所、石窟の中には阿弥陀坐像が安置されている。
*JR仙石線「松島海岸駅」下車、東南方向へ徒歩 約 7分。退院後、初めてのページです。今後とも宜しくお願い致します。
(撮影:平成26年4月10日)