雄島(おしま)(宮城県宮城郡松島町松島海岸)
瑞巌寺の南約600m、朱塗りの渡月橋を渡った東西40m、南北200m位の小さな島が雄島で、僧たちの修行の場になっていた。
雄島(おしま)種子雷文自然石塔婆(鎌倉時代後期 正和二年 1313年、粘板岩、高さ 236Cm)
長方形自然石の周囲を雷文と簡単な唐草で飾る。塔身上部に胎蔵界大日如来の種子「ア」を薬研彫し、その下に銘文を刻む |
石塔婆(板碑) 上部
頂部は弧状、雷文は雄島の南方にある頼賢(らいけん)碑の影響と思われる
石塔婆(板碑) 梵字部
月輪を線刻し、内に蓮華座を刻み、その上に胎蔵界大日如来の種子「ア」を薬研彫する
雷文横、「正和二年(1313)口口八月二十六日」の刻銘 | 石塔婆下部に六行にわたり銘文が刻まれている |
銘文:「夫五輪塔婆者、遮那遍照之三形大日也、証薩埵脳肝也、法然稀有之功徳、相暦形之曼荼也、是則頓慢無生之妙述、即身
成仏必当耳、依之当先考妣三十三年、刻彫一基駄都、期彼出離、仍造立如件、正和二年(1313)口口八月二十六日、沙弥尼西念敬白」
両親の三十三回忌にあたり、法名が西念(尼)という女性が、この駄都(石塔婆)を造立した
雄島種子雷文自然石塔婆(向かって左側)と曼荼羅石塔婆(右側、鎌倉時代後期 徳治三年)
貴重な鎌倉時代後期の在銘石塔婆が、二基並んで階段を登った上方に立っている
見仏上人の旧跡 見仏堂(妙覚庵)跡地 | 壁面の岩盤には、五輪塔や板碑などが刻まれている |
雄島から見る松島の風景
*JR仙石線「松島海岸駅」下車、東南方向へ徒歩 約 7分。
(撮影:平成22年11月13日)