雄島(おしま)曼荼羅自然石塔婆

 雄島(おしま)(宮城県宮城郡松島町松島海岸)

  碑面に金剛界曼荼羅成身会、菩提心論に出る偈(げ)を刻んだ石塔婆で、鎌倉時代後期 徳治三年(1308)の紀年銘がある。。

雄島(おしま)金剛界曼荼羅自然石塔婆 (鎌倉時代後期 徳治三年 1308年、粘板岩、高さ 約200Cm)

雄島への橋を渡り、階段を登った上方に立つ。身部は、金剛界曼荼羅成身会、その下に菩提心論に出る偈、願文、紀年銘を刻む。

金剛界曼荼羅の下に「菩提心論に出る偈(げ)」、その下中央に「徳治三年(1308)戊申七月十四日、敬白」

の紀年銘、左右に「右志者父母幽霊依此修善令到真」、「如寂静之地給乃至法界利益故也」の願文を刻む。

金剛界(こんごうかい)曼荼羅の中核部、成身会(じょうじんえ)(種子は、下記の通り)

阿弥陀如来の種子「キリーク」
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宝生如来の種子「タラーク」 金剛界大日如来の種子「バン」 不空成就如来の種子「アク」 
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阿閦(あしゅく)如来の種子「ウーン」

蓮座上大月輪の中、中央月輪内に金剛界大日如来、上下左右に金剛界四仏の種子を小月輪内に刻む。方向は、上方が西で向かって右が北。

菩提心論に出る偈(げ)

偈(げ):「若人求仏慧(にゃくにんぐぶつえ)、通達菩提心(つうたつぼだいしん)、父母所生身(ぶもしょしょうしん)、 即証大覚位(そくしょうだいかくい

[ もし人ありて仏慧を求め、菩提を求める心達したならば、父母の産んでくれたこの身ながら、速やかに大覚位を証することができる。]

刻銘:徳治三年(1308)、戊申、七月」 刻銘部は、風化・摩耗が進み、肉眼では読みづらい。

雄島種子雷文自然石塔婆(鎌倉時代後期 正和二年、向かって左側)と曼荼羅石塔婆(右側

貴重な鎌倉時代後期の在銘石塔婆が、二基並んで階段を登った座禅堂西側に立っている

雄島(おしま)頼賢行状碑(重文、徳治二年 1307年、粘板岩、高さ 340Cm)を納める鞘堂

行状碑は、額中央に梵字「ア」を刻み、右に「奥州御島妙覚庵」、左に「頼賢庵主行実銘並序」と記し、碑面に十八行にわたり

行実(一代記)を刻む。徳治二年(1307)三月十五日、鎌倉建長寺の唐僧 一山一寧の撰文及び書であることが知られている。

 雄島(おしま)種子雷文自然石塔婆                       石仏と石塔-目次!

雄島(おしま)

瑞巌寺の南約600m、朱塗りの渡月橋を渡った東西40m、南北200m位の小さな島が雄島で、僧たちの修行の場になっていた。

 板碑(いたび)

*JR仙石線「松島海岸駅」下車、東南方向へ徒歩 約 7分。頼賢行状碑は、外から全く見ることができない。周りを囲んでいる高い鉄柵は、余計なものだと思う。

(撮影:平成22年11月13日)