多福院(たふくいん)山門脇石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
山門から本堂に至る参道、その右側に約四十基の中世の古碑が立つ。
多福院(たふくいん)山門脇 石塔婆群 (市指定文化財、鎌倉時代後期~室町時代、粘板岩)
山門脇石塔婆群は、山門側に前列七基、後列約二十基、このグループからやや本堂よりに約十五基がある。
多福院(たふくいん)山門脇 本堂側石塔婆群 (市指定文化財、鎌倉時代後期~室町時代、粘板岩)
本石塔婆群は、すべて小型のもの。
多福院(たふくいん)山門脇前列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
山門脇石塔婆群のシンボル的な碑で、高さも一番高い。主尊に胎蔵界大日三尊を刻む。残念ながら紀年銘は不明。
多福院 山門脇 胎蔵界大日三尊種子石塔婆 (市指定文化財、紀年銘なし、粘板岩、高さ 356Cm 幅 99Cm 厚さ 27.5Cm) |
碑面は、研磨を施す。身部は、上方に胎蔵界大日種子(五点具足)「アーンク」を中尊とする三尊種子、下方は中央に六字名号、その左右に願文を刻む。
庫裏の前にあった池の中から、掘り出されたという石塔婆で、原位置を伝える数少ない碑。
三尊種子の下に六字名号を刻んだ珍しい複合板碑 | 胎蔵界大日(五点具足)三尊種子 |
三尊種子は、上方に大きく胎蔵界大日種子(五点具足)「アーンク」、向って右下 に観音種子「サ」、左に勢至種子「サク」を刻む。
観音・勢至は、通常 阿弥陀三尊の脇侍。尚、当寺には、同様の三尊種子刻んだ多福院 草刈山 胎蔵界大日三尊種子石塔婆がある。
石塔婆 下部、刻銘 (全文)
下部の刻銘は、中央に「南無阿弥陀仏 、孝子慈阿、生年七十六」、
その両側に各一行「右志者為慈父悲母出離生死往生、極楽也干時・・・・・・・・・・・・・・・」と刻んでいる。
多福院(たふくいん)山門脇前列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
上部を欠失する石塔婆で、逆修供養として鎌倉時代後期 嘉元元年(1303)に造立された。
多福院 山門脇 石塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元元年 1303年、粘板岩、高さ 159Cm 幅 62Cm 厚さ 30Cm) |
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上部と向って左部を欠失、造立趣旨と紀年銘を刻んだ銘文を残す。紀年銘を刻んだ部分は、土中に埋まっている。 |
刻銘:「率都婆是滅罪生善出離生死指南也 然則為・・・、
・逆修善根一筆造立也仍十方法界同利益寛元元・、・年(1303)十月廿五日孝子敬白・」
多福院(たふくいん)山門脇前列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
亡き母「一百ヶ日忌」の供養として南北朝時代 貞和五年(1349)に造立された。
多福院 山門脇 石塔婆 (市指定文化財、南北朝時代前期 貞和五年 1349年、粘板岩、高さ 92Cm 幅 41Cm 厚さ 14Cm) |
上部を欠失、種子の痕跡が残る。身部は、亡き母 明宗禅尼「一百ヶ日忌」に造立した願文と「貞和五年(1349)」の紀年銘を刻む。
刻銘は、中央に「貞和五年(1349)十一月八日、孝子等、敬白」の紀年銘、
その両側に各一行「右旨趣者為相当先妣明宗禅尼、一百ヶ日滅罪生善頓證菩提普界菩提益也」と刻んでいる。
刻銘:「貞和五年(1349)十一月」 | 刻銘:「一百ヶ日」 |
多福院(たふくいん)山門脇 二尊種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
多福院(たふくいん)本堂 (曹洞宗)
天台宗 日輪寺の跡に、室町時代末期 元亀元年(1570) 曹洞宗の寺院として再興されたという。
多福院の石塔婆の総数は93基、その内 紀年銘があるものは80基という。
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。
(撮影:平成26年4月10日)