高田寺(こうでんじ)(京都府木津川市加茂町高田奥畑54)
五輪塔は地輪と反花座を残すのみだが橘派 石大工 橘友安の作品。地輪の二面に田畠の寄進に関する長文を刻む貴重な遺品
高田寺(こうでんじ)五輪塔 残欠(地輪)(鎌倉時代後期 永仁三年 1295年、花崗岩、高さ 31Cm)
五輪塔 正面
刻銘:「右田畠等限永代、奉寄進堂塔畢、口口口口永々不可有相違之状如件、
・・・・・・・・・・・・・永仁三年(1295)乙未六月二日、願主大伴国香、大工橘友安」
石大工 橘友安は橘派の石大工で、同じ加茂町の西明寺笠塔婆(永仁三年:1295年)にも橘友安名が刻まれている
五輪塔地輪 反花座
反花座は地輪と一具のもので、反花座のある年代の確定できる五輪塔では最も古い
五輪塔地輪 西面
刻銘:「奉寄進、西山本堂塔田畠、合、口口郷田地子五斗、門畠一段三斗、大野里卅三坪畠一段四斗」
二面にわたる銘文は、寺に田畠を寄進することに関するもので、資料的に貴重なものである
作者の橘友安は橘派の石大工
橘派は、橘安縄−友安−維安−国安と続き、安縄は「藪の中三尊」、維安は高野山奥院の五輪塔地輪、国安は野田宝篋印塔に名を見る
高田寺墓地(こうでんじぼち)五輪塔 (室町時代前期 永享八年 1436年、花崗岩) |
五輪塔は、四面の各輪に五輪塔四門の梵字を刻み、切石の基壇上に大和形式の複弁反花座を置く。宝珠(空輪)の先が尖り、笠(火輪)の軒反
も先端で尖りつつあり、地輪の背も高くなってくる。さらに、各輪の四門の梵字は小さく迫力に欠け、鎌倉時代から時代が経って行くのがわかる。
高田寺(こうでんじ)地蔵石仏
境内の隅(墓地の横)に祀られている五体の石仏。六地蔵を意図したものか
右手錫杖・左手宝珠の地蔵石仏(五体の右端) | 右手施無畏印、左手宝珠の地蔵 |
大門仏谷(だいもんほとけだに)阿弥陀磨崖仏 石仏と石塔-目次!
高田寺 本堂
開創は奈良期と伝えられ、本尊の薬師如来坐像(平安時代後期)は国の重要文化財
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訓谷(くんだに)五輪塔(室町時代前期) |
*JR・近鉄奈良駅前から奈良交通バス 加茂駅行きに乗車、「高田東口バス停」下車、西方向へ 徒歩2分。
(撮影:平成22年3月12日)