宇都(うと)(岩林寺跡)板碑群 (鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南)
前記、正応六年(1293)年銘板碑の一年後 永仁二年(1293)に造立された板碑で、二尊を主尊とする。
宇都 二尊種子板碑(県指定史跡、鎌倉時代後期 永仁二年 1294年、凝灰岩、高さ 218Cm 下幅 47Cm 厚さ 30Cm)
正応六年(1293)年銘板碑の東側に立つ。頂部山形、下に二段の切込、身部上方に二尊種子、下方に永仁二年(1294)の刻銘がある。 |
板碑 頭部
頭頂の山形は尖る。下に二段の切込、額部(がくぶ)は突出する。
身部上方、二尊種子 | 身部下方、紀年銘 |
上方の二尊種子は碑面が剥落して、上側の種子は読めない。下側の種子は、胎蔵界大日種子「ア」を刻んだものと思われる。
下方の種子が「ア」であるならば、上方の種子は金剛界大日如来の種子「バン」かもしれない。金・胎 大日二尊を刻んだ板碑は、
佐間(大日二尊種子板碑(埼玉県行田市)、雷古碑(大日二尊種子石塔婆)(仙台市)、日吉神社金胎二尊板碑(滋賀県高島市)などで見られる。
板碑 下部
中央に「永仁二年(1294)、歳次、甲午、二月廿三日、孝子、敬白」の紀年銘ある。
板碑 根部
根部は、薄く突出する。
刻銘:「永仁二年歳次、甲午二月廿三日孝子、敬白」 | 二段の切込は側面におよび、頂部は鋭く尖る。 |
上記写真、右側奥に正応六年(1293)銘板碑が見える。その造立は本板碑の一年前にあたる。本碑は、その正応六年碑と比べ、形状に大きい変化がみられる。
宇都(うと)(岩林寺跡)板碑群 (鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南)
永仁二年碑の横に立つ同形の小型板碑で、紀年銘はないが永仁二年碑と同時代の作とみられている。
宇都(うと) 一尊種子板碑 (県指定史跡、推定:鎌倉時代後期、凝灰岩)
板碑は、身部を内に彫り込み、額部と根部をやや出張った形にする。身部は、上方に種子「アク」を刻み、下方の刻銘はない。 |
種子「アク」の仏尊は胎蔵界大日、不空成就如来、天鼓雷音如来、釈迦如来、普賢菩薩、金剛薩埵などがある。
二基並んで立つ板碑
正応六年(1293)銘碑と同じく、当地の地頭職であった祢寝(ねじめ)氏ゆかりの板碑と推定されている。
諏訪神社
板碑群の約100m手前にある神社で、二基並列の鳥居が珍しい。
縁結びのスポットで、左の鳥居から入って、右の鳥居から出る習わしがあるという。
*鹿屋(かのや)から三州バス 大泊行きに乗車、「下諏訪バス停」下車、東方向へ約600mで諏訪神社に突き当り、手前の道を右方向へ約100m行った所にある。
(撮影:平成26年5月25日)