横馬場(よこばば)金剛界大日種子板碑

 横馬場(よこばば)金剛界大日種子板碑(鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北横馬場)

   金剛界大日種子を主尊とする板碑で、建武二年(1335)の紀年銘があり、祢寝(ねじめ)氏ゆかりの板碑と推定されている。

横馬場 金剛界大日種子板碑(町指定文化財、南北朝時代前期 建武二年 1335年、凝灰岩、高さ 254Cm 幅 42.5Cm)

板碑は、頂部山形、下に二段の切込。身部は柱状で、上方に金剛界大日種子、その下に長文の造立趣旨、下方に紀年銘を刻む。

板碑は、ここより西方のフデ坂の地(現高校長住住宅附近)の水田の中に半分以上埋もれていたものを昭和四十四年に現在地に移転復元したもの(現地説明板)

板碑 頭部

頭頂の山形は尖る。下に二段の切込、額部(がくぶ)は突出する。

身部 上方

金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。

身部の刻銘(長文の造立趣旨) 二段の切込は側面におよび、頂部は鋭く尖る。

「九州の石塔 下巻」(多田隈 豊秋 著)で「針馬場碑伝」として紹介されている板碑で、現地から東の針馬場の公民館辺りを探したが見つからなかった。さらに、

その近くに古くから住まわれている複数の人に聞いても分からなかった。結局、馬場の地名が複数あり、その公民館を目印に探し、横馬場公民館前で見つけた。

板碑 種子の下、造立趣旨

刻銘:「夫以先考聖霊出真如口口口口口生死、以降悪趣之業多衆善口功口故妙法華経、

如法如読書写口奉為行智聖霊口善口口、後楽後生法界衆生平等利益建立如右

現地説明板によれば、祢寝(ねじめ)氏六代 清保(嘉暦二年:1327年 没)の為、七代清成など子息が建武二年に建立した供養塔という。

板碑 下部

紀年銘が刻まれているが一部地中に埋まっている。

刻銘:「建武弐奉(1335)、歳次、己刻(乙亥)十一月十五日、大施主敬白

板碑、側背面

最下部の根部は、地中に埋もれているが、突出していると思われる。

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横馬場公民館及び北山神社

板碑は現在、北山神社と公民館の前庭に安置されている。

 板碑(いたび)

*鹿屋(かのや)から三州バス 大泊行きに乗車、「根占バス停」下車、北方向へ徒歩約300m。県道が北方向から東方向に大きく曲がるカーブを、曲がらず真直ぐに100m程行くと横馬場の公民館があり、その前に立っている。。

(撮影:平成26年5月25日)