極楽寺(ごくらくじ)薬師種子石塔婆

 極楽寺(ごくらくじ)石塔婆群(岩手県北上市稲瀬町内角岡30)

  「最教」が四七日(二十八日)忌の供養として造立した石塔婆で、紀年銘はないが鎌倉時代後期の造立。

極楽寺 薬師種子石塔婆(中央)(県指定文化財、鎌倉時代後期、両輝石安山岩、高さ 80Cm 幅 28Cm 厚さ 26Cm)

石面 上方に「薬師」の文字と薬師種子「バイ」を蓮座上月輪内に、下方に「五官王、四七日」、造立者名「最教」、及び願文を刻む。

極楽寺入口、二つの覆屋内に十二基の石塔婆が集められている。内八基は県指定文化財。本石塔婆は、向って左側覆屋内、右から二基目に位置する。

極楽寺石塔婆群は、県指定文化財八基のうち六基に主尊種子と共に仏名、十王名、忌日・忌年銘が、内 五基に「最教」の名が刻まれ、史料的価値が高い。

石塔婆 頭部

頭部に「薬師」の文字が刻まれている。

石塔婆 上部

蓮座上月輪内に薬師如来の種子「バイ」を刻む。

本石塔婆 現地説明 本石塔婆、正面

石塔婆 下部

刻銘は、左右に「六新(親)父母為、乃至法界衆生也」、中央に「五官王、四七日、最教」と刻む。

(六親:最も身近な六種の親族。父・母・兄・弟・妻・子など。また、広く親族全体をさしても用いる。)

石塔婆群 七七日(四十九日)忌阿弥陀種子石塔婆に「延慶二年(1310)十二月二十九日」の紀年銘

「最教」の名があり、一連のものとすれば本石塔婆は「延慶二年(1310)十二月九日」の造立となる。

刻銘:五官王、四七日、最教」

四七日(二十八日)忌の十王名は五官王で、その本地仏は十三仏信仰が定着すると「普賢菩薩」とされた。

No 種子 本地仏 十王名 忌日・忌年
1 カーン 不動明王 秦広王(しんこうおう) 初七日
2 バク 釈迦如来 初江王(しょこうおう) 二七日
3 マン 文殊菩薩 宋帝王(そうていおう) 三七日
4 アン 普賢菩薩 五官王(ごかんおう) 四七日
5 地蔵菩薩 閻魔王(えんまおう) 五七日
6 弥勒菩薩 変成王(へんじょうおう) 六七日
7 バイ 薬師如来 泰山王(たいざんおう) 七七日
8 観音菩薩 平等王(びょうどうおう) 百ケ日
9 サク 勢至菩薩 都市王(としおう) 一周忌
10 キリーク 阿弥陀如来 五道転輪王(ごどうてんりんおう) 三回忌

十王と本地仏(十仏) (赤枠は、本石塔婆の刻銘)

本石塔婆は、十王・十三仏信仰が定着する前の過渡期にあたり、四七日忌の主尊を薬師種子「バイ」としている。

室町時代以降流行した十三仏は、死者の追善供養のために初七日(不動)、二七日(釈迦)、三七日(文殊)、四七日(普賢)、五七日(地蔵)、六七日(弥勒)、七七日

(薬師)、百ヶ日(観音)、一周忌(勢至)、三回忌(阿弥陀)、七回忌(阿閦)、十三回忌(大日)、三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。・・・

最初の十仏は十王の本地仏を、初七日(不動)から三回忌(阿弥陀)までに当て、この十仏に七回忌 阿閦、十三回忌 大日、三十三回忌 虚空蔵を加えたのが十三仏。

向って左側覆屋 石塔婆群、六基

本 薬師種子石塔婆は、向って右から二基目。

No 現地No 名称 種子 本地仏 十王名 忌日・忌年 造立者 備考
1 普賢 種子石塔婆  ウーン 普賢菩薩 宋帝王 三七日 最教
2 薬師 種子石塔婆  バイ 薬師如来 五官王 四七日 最教 六親父母為
3 阿弥陀 種子石塔婆 キリーク 阿弥陀如来 泰山王 七七日 最教 延慶三年(1310)
4 観音 種子石塔婆  観音菩薩 平等王 百ケ日 最教
5 弥勒 種子石塔婆  アク 弥勒菩薩 五道転輪王 第三年 最教
6 阿弥陀 種子石塔婆 キリーク 阿弥陀如来 - - - 延慶四年(1311)
7 地蔵 種子石塔婆 地蔵菩薩 炎魔王 七七日 - 為尾張坊
8 不動 種子石塔婆 カーン 不動明王 - 相当一百日 - 阿経忌(四七日忌)

極楽寺石塔婆群、県指定文化財 八基一覧(赤枠は、本石塔婆の刻銘)

極楽寺(ごくらくじ)石塔婆群 十二基

極楽寺入口、道路沿い覆屋内に集められている。

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極楽寺(ごくらくじ)(真言宗智山派)

前身は天安元年(857)に定額寺(官寺に次ぐ地位の私寺)に指定され、平安時代中期に最盛期を迎えた「陸奥国極楽寺」に擬定されている。

「陸奥国 極楽寺」は、国見山一帯に栄えた古代の山岳寺院で、現在は「国見山廃寺跡」と呼ばれ、国の史跡に指定されている。

 板碑(いたび)

*JR北上駅前から岩手県交通バス 岩黒線 江刺バスセンター行きに乗車、「岩脇バス停」下車、東方向へ山道を徒歩 約31分。

(撮影:平成25年10月12日)