小峯寺(おみねじ)宝篋印塔

 小峯寺(おみねじ)宝篋印塔(和歌山県橋本市小峯台2-1)

   南北朝時代後期 天授五年(南朝年号 1379年)の紀年銘を有する貴重な宝篋印塔。

小峯寺宝篋印塔 (市指定文化財、南北朝時代後期 天授五年 1379年、砂岩、地上高 180Cm)

塔身、側面を円形に彫りくぼめ内に顕教四仏を半肉彫りする。(正面:釈迦)
宝篋印塔は、門前 数十メートル手前、小道の傍に安置されている。 塔身、側面を円形に彫りくぼめ内に顕教四仏を半肉彫りする(南面:阿弥陀)

段形は、下二段、上六段、隅飾は二弧で直立する。

塔身、側面を円形に彫りくぼめ内に顕教四仏を半肉彫りする。(西面:弥勒)
塔身、側面を円形に彫りくぼめ内に顕教四仏を半肉彫りする。(北面:薬師) 南北朝時代後期 天授五年(1379)の在銘、完存する貴重な宝篋印塔

基 礎 (北面)

側面は無地で、背面を除く三面に刻銘がある。刻銘は、摩耗が激しくほとんど判読できない。

北面刻銘:「奉以功立石塔一、基之事、此・・・・・、・・・・此造、・・灵功徳所口、・・若有有情能、於此塔一香一華禮、拝供養八十億劫」

正面刻銘:「生死重罪一時消滅、若有應堕阿鼻地、獄若於我此塔一禮拝或、一右遶塞地獄門開菩、提路・・・・切、・・・・・・・・・・・、

・・・・・・・・・・・、上報四恩下資三有界、利生阿闍梨・・在世、干時天授己未(1379)・・・・、敬白」

南面刻銘:「敬白、奉功立石塔一基之事、右件塔婆口三千諸佛口、其功徳、・・・・・性・・・、・・・・・、・・・・・・・・・・・・、

奉起天授五、己未、(1379)五月廿六日、口口、敬白」(「紀伊國金石文集成」 巽 三郎、愛甲昇寛 編著より)

刻銘は、北面から正(東)面にかけて、下記「宝篋印陀羅尼経(不空訳)」の散文が刻まれている。(但し、中程で二句ほど省略あり)

「若有有情 能於此塔 一香一華 礼拝供養 八十億劫 生死重罪 一時消滅

若有応堕 阿鼻地獄 若於我此 塔一礼拝 或一右遶 塞地獄門 開菩提路」

[ 若し有情あり、よく此の塔において、一つの香、一つの花を供え、礼拝供養すれば、八十億劫生死の重罪は一時に消滅するなり。若し応(まさ)に

阿鼻地獄に堕すべきことが有るも、若し此の塔に一たび礼拝し、或は一たび右遶(うにょう)すれば、地獄の門は塞(ふさ)ぎ、菩提の路は開くなり。]

右遶(うにょう):仏塔の周囲を右回りにめぐること

また、下記の「宝篋印陀羅尼経(不空訳)」の部分は、偈(げ)として引用されている。

偈(げ):「一香一華(いっこういちげ)礼拝供養(らいはいくよう)八十億劫(はちじゅうおくごう)生死重罪(しょうじじゅうざい)一時消滅(いちじしょうめつ)

[ 一つの香、一つの花を供え、礼拝供養すれば、八十億劫生死の重罪は一時に消滅するなり。]

相輪は下から、やや背の高い伏鉢・単弁請花・九輪・単弁請花・宝珠で、完存する。宝篋印塔は、全体にバランスが良く美しい。

紀の川流域では他に、かつらぎ町下天野にある同系統の西行(さいぎょう) 妻・娘 宝篋印塔(南北朝時代後期、県指定文化財)が知られている。

基 壇

二枚の切石からなっている。

 阿弥陀寺(あみだじ)五輪塔                               石仏と石塔-目次!

小峯寺(おみねじ)本堂

小峯寺は、役行者が開いた寺で、山伏の行所であったと伝えられている。

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*南海高野線・林間田園都市駅前より、南海りんかんバス 橋本市民病院行きに乗車、「初芝橋本高校前バス停」下車、西方向へ徒歩5分。

(撮影:平成25年1月29日)