定福寺(じょうふくじ)九重石塔

 定福寺(じょうふくじ)(和歌山県橋本市賢堂285)

   紀北地域の在銘層塔として屈指の古さを誇る石塔で、鎌倉時代中期 弘安八年(1285)の紀年銘がある。

定福寺(じょうふくじ)九重石塔 (市指定文化財、鎌倉時代中期 弘安八年 1285年、砂岩、総高 244Cm)

定福寺入口、石段の向って左、一段高い所に樹木に覆われ安置されている。現状八層、鎌倉時代中期 弘安八年(1285)の紀年銘がある。

七層・八層(欠)・九層 屋根

現状、八層の屋根石を欠いている。

初層・二層屋根

軒は比較的薄く、ゆったりと反り、各層屋根の上部に低い上層の軸部をつくりだす。軒下の垂木型はない。

初層軸部 西面、二重円光背を彫りくぼめ蓮座上に四方仏を刻む。 初層軸部 東面、二重円光背を彫りくぼめ蓮座上に四方仏を刻む。

四方仏は、像容から、西面 阿弥陀、東面 薬師、北面 弥勒、南面 釈迦の顕教四仏と思われる。

初層軸部 南面

二重円光背を彫りくぼめ蓮座上に四方仏を半肉彫りする。

相輪は下から、伏鉢・請花・九輪で、九輪の五輪を残し上部を欠失する。また、石塔は紀北地域の在銘層塔として、屈指の古さを誇る。

基礎 正面(南面)

基礎幅 62Cm、正面に五行に亘り刻銘がある。

刻銘:「弘安第、八暦(1285)乙酉、二月十三日、願主黄善、敬白」

刻銘:「八暦(1285)、乙酉 刻銘:「弘安第

『伊都郡学文路(かむろ)村誌』によると、「塔の下には石棺を埋めてあると言はれ、『一村大飢饉の際に非ざれば発掘すべからず』との伝えがある

とて人々畏怖して手を触れず」と記されており、この塔が古くから村との関わりをもって人々に受けとめられてきたことがうかがえる。(現地説明板)

定福寺 本堂

本尊は、阿弥陀如来坐像(県指定文化財、平安時代後期、像高 88Cm)

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定福寺 (真言宗)

石塔は、石段の向って左側、一段高い所、樹木に覆われ安置されている。

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*南海電鉄 高野線「紀伊清水駅」下車、東方向へ徒歩 約12分。

(撮影:平成25年7月18日)