眞殊院(しんじゅいん)(静岡県伊豆の国市中條145-2)
現在、風・空輪の代わりに宝篋印塔の笠・相輪を載せた五輪塔で、静岡県内最古 正安四年(1302)の紀年銘がある。
眞殊院(しんじゅいん)五輪塔 (市指定文化財、鎌倉時代後期 正安四年 1302年、安山岩、火輪迄の高さ 138Cm)
水輪(正面)、蓮座上月輪内に金剛界四仏を半肉彫りする。 | ||
本堂に向って左側奥、歴代住職墓の脇に安置されている。 | 水輪(南面)、蓮座上月輪内に金剛界四仏を半肉彫りする。 |
水輪は ほぼ球状で、側面は 舟形を彫りくぼめ蓮座上月輪内に金剛界四仏の坐像を半肉彫りしている。
現在の北面が、定印の阿弥陀如来と推定され、西方阿弥陀仏を基準とすれば、東面が不空成就如来(北方)、南面が阿閦如来(東方)、西面が宝生如来(南方)になる。
火 輪
降棟及び軒は、直線的で反りがなく、軒口もあまり厚くない。
水輪(東面)、蓮座上月輪内に金剛界四仏を半肉彫りする。 | ||
水輪(北面)、蓮座上月輪内に金剛界四仏を半肉彫りする。 | 県内には、五輪塔と宝篋印塔を組合せた霊山寺石塔がある。 |
地輪(正面)
中央に大きく「定仙大和尚塔」、向って右に「承慶僧都」、左に「左金吾政員」の刻銘がある。
地輪南面、権律師 玄頂が正安四年に造立した旨を記す。 | 地輪北面、多くの交名(きょうみょう)が刻まれている。 |
南面から西面にかけては、定泉大和尚を顕彰し、権律師 玄頂が正安四年(1302)に造塔供養を行った旨が刻まれている。
地輪(西面)
定泉大和尚を顕彰する文言が記される。後から二行目には大工 友之の名が見える。
刻銘:「大工 友之」 | 刻銘:「権律師 玄頂」 | 刻銘:「正安四年(1302)」 |
宝篋印塔 笠(五輪塔 風輪部)
五輪塔 風輪の部所に載っている。
段型は下二段、上五段で最上段は側面二区の露盤とし、隅飾は二弧輪郭付きでやや外傾する。
鎌倉市の安養院 徳治三年(1308)銘宝篋印塔の笠と良く似た形状で、やや細部が洗練されている。
静岡県には、五輪塔と宝篋印塔を組合わせた形状の霊山寺(りょうぜんじ)変形宝篋印塔等がある。
安養院宝篋印塔 笠 (鎌倉市、徳治三年 1308年)
相輪、五輪塔空輪部に載っている。 | 五輪塔の横に安置されている関東形式の宝篋印塔。 |
眞殊院(しんじゅいん)磨崖仏(静岡県伊豆の国市中條145-2)
眞殊院(しんじゅいん)磨崖仏(南北朝時代 貞治二年 1363年)
墓地入口近くの岩壁に刻まれている。風化・摩耗が激しい。向って右側に刻銘がある。
眞殊院(しんじゅいん)(曹洞宗)
鎌倉時代 真言宗として開創、室町時代に曹洞宗に改宗する。
伊豆に流された頼朝の監視を平清盛から任されている伊東祐親の四女「八重姫」は、父 裕親に頼朝との一子
「千鶴丸」を殺害され、幽閉される。その後、意を決して亀石峠の難路を越え伊東の館から頼朝に会いに来た
が、既に政子と結ばれているのを知り、真珠ヶ淵に入水した。眞殊院境内には、八重姫を祀る「八重姫御堂」がある。
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*伊豆箱根鉄道 「伊豆長岡駅」下車 、北西方向へ徒歩 約10分。
(撮影:平成25年12月17日)