伝・伊東祐親(すけちか)墓所 五輪塔

 伝・伊東祐親(いとうすけちか)墓所 五輪(静岡県伊東市大原1-11-18)

   伊東祐親は、伊豆に流された源頼朝の監視を平清盛から任された人物で、本五輪塔は祐親の墓とされている。

伝・伊東祐親(いとうすけちか)墓所 五輪塔 (市指定文化財、鎌倉時代後期、安山岩、高さ 140.5Cm)

風・空輪、本部材のみ梵字がなく、別物の可能性がある。
「伊東祐親の墓」と呼ばれ、本五輪塔が一基立っている。 水輪、やや上下をおしつぶした楕円形。

尚、水輪は上部に直径 約20Cmの納骨孔があるという。

火 輪

軒口厚く、軒反(のきぞり)は強い。

火輪(笠)の一部を破損するが、全体のバランス・形状ともに良く、美しい姿を見せている。

伊東祐親は、伊豆に流された源頼朝の監視を平清盛から任された人物。頼朝挙兵に際し、平氏側の祐親はこれを撃破するが、後に敗れ、捕われの身となり

女婿 三浦義澄に預けられる。義澄による祐親の助命嘆願が受けいられるも、これを潔しとせず邸内で自害する。祐親の孫には、仇打ちで有名な曽我兄弟がいる。

地 輪

方形で、側面は、四面とも梵字「ア」を雄渾に大きく薬研彫する。

各輪の梵字は、火・水輪が「四門の梵字」でやや小さく、地輪の梵字は四面とも梵字「ア」で火・水輪に比べ大きく刻まれている。

風・空輪と地輪は、別物の可能性がある。基壇は、切石を使用。

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伝・伊東祐親(いとうすけちか)墓所 五輪塔 (市指定文化財、鎌倉時代後期)

祐親は平安時代末期の武将で、五輪塔は鎌倉時代後期の特長を備える。

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*JR伊東線 伊東駅前から伊豆東海バス「修善寺」・「宇佐美港」・「新井」・「伊東市民病院」行きに乗車、「大原町バス停」下車 、南西方向へ徒歩 約3分。または、伊東駅から南東方向へ徒歩 約25分。

(撮影:平成25年12月17日)