明王院(みょうおういん)宝篋印塔と石造宝塔

 明王院(みょうおういん)(滋賀県大津市葛川坊村町155)

  平安時代の初期、相応和尚が開いた修験道場で天台回峯行の道場。ここは大津市でも山深く、東に比良山系があり、越えると近江舞子あたりになる

  明王院(みょうおういん)宝篋印塔

明王院宝篋印塔(鎌倉時代後期 正和元年 1312年、花崗岩、相輪折損前の高さ 188Cm)

塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生)
明王院 中興の祖 頼玄と念仏講衆が正和元年(1312)に造立した宝篋印塔 塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(ウーン:阿閦)

笠は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭つきで内は無地

塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀)
塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就) 相輪が五輪あたりから折損しているが、洗練された美しさをもつ

基礎上端は複弁の反花(かえりばな)、側面は輪郭を巻き格狭間をつくる。基礎三面の束に

「正和元年(1312)壬子、卯月八日、奉造立之、四村念仏講衆等敬白、常住頼玄」と刻む

  明王院(みょうおういん)石造宝塔

明王院 石造宝塔(鎌倉時代後期 嘉暦三年 1328年、花崗岩、高さ 218Cm)

笠は、三筋の降棟、先端に稚児棟をつくる。軒反が美しい
宝篋印塔と同様、中興の祖 頼玄と念仏惣衆による嘉暦三年の造立 塔身の軸部は無地で扉型を刻まない古式

基礎の三面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。残り一面(上写真)は六行にわたり刻銘を入れる

刻銘:「嘉暦三年(1328)戊辰十月五日、常住不動金剛頼玄、念仏惣衆等敬白」

 地主(じしゅ)神社 石造宝塔                           石仏と石塔-目次!

基礎の格狭間も美しい。塔身の首部は二段、軸部は無地。相輪は完存し、全体に美しい姿をみせている
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*京阪出町柳駅前より京都バス 朽木行きに乗車「坊村バス停」下車 徒歩3分。または、JR堅田駅前から江若バス 細川行き「坊村バス停」下車

(撮影:平成20年5月15日)