孝恩寺(こうおんじ)五輪塔

 孝恩寺(こうおんじ)(大阪府貝塚市小積798)

  神亀三年(726)行基の開創と伝える浄土宗の寺院。本堂の釘無堂は国宝の建造物。

孝恩寺五輪塔(府指定文化財、南北朝時代前期 貞和四年 1348年、砂岩、高さ 110Cm)

風・空輪、風・空輪は一石からなり、空輪は宝珠の形
本堂に向かって右手の奥、一重の基壇上に安置されている 火輪、軒は厚く、先端は垂直に切れ、正面の一部を破損する

同じ大阪府内で和泉砂岩圏内の薬師寺五輪塔(南北朝時代初期 暦応四年 1341年、砂岩)と驚くほど似ている

地輪の正面に「貞和二二(四)(1348)戊子、ア(梵字)七月十四日」の刻銘がある

地輪の高さは24.6Cm、幅 39.4Cm、南朝勢力化とされている当地域で、北朝年号が刻まれている。

五輪塔の正面に、大日如来の報身真言 「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」 の梵字を、各輪に一字ずつ下(地輪)から上に刻む

水輪は、最大径が上にある壺型をしている

中世の古塔が三基並んで立っている

大正三年(1835)に孝恩寺が観音寺を合併した。観音堂(釘無堂)や五輪塔は、もと観音寺の遺物と考えられている

観音堂(釘無堂)(国宝、鎌倉時代後期、桁行五間、梁間五間、寄棟造、屋根は行基葺)

和様を基調とし、大仏様を取り入れた折衷様(せっちゅうよう)であることから、鎌倉時代後期の建築と考えられている

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孝恩寺(こうおんじ)

孝恩寺は、多数の仏像など国の重要文化財19件を蔵している

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*水間鉄道 水間線 「水間観音駅」下車、東南方向へ 徒歩 約17分。または水間観音駅から水鉄バス 蕎原行き乗車、「釘無堂バス停」下車すぐ。

(撮影:平成22年2月17日)