水地(みずち)(王子)九重石塔

 水地(みずち)(王子)九重石塔(大分県臼杵市野津町大字王子字水地)

  この塔は、天正年間(1573~1591)に薩摩の島津氏が侵攻した豊薩戦争で焼失した延萬寺(えんまんじ)にあった

水地(王子)九重石塔(重要文化財、鎌倉時代中期 文永四年 1267年、凝灰岩、高さ 約600Cm)

初層軸部、舟形を彫りくぼめ顕教四仏を半肉彫りする(東面:薬師如来)
九重石塔は、田園の一区画に立っている。往時を偲ぶものは他にない 光背は、二重円光で、舟形の彫込み面へ弧線を入れる(南面:釈迦如来)

各層の軸部の幅が大きく、軒の出は少ない。屋根は照りむくりの波状になっている

初層軸部、舟形を彫りくぼめ顕教四仏を半肉彫りする(西面:阿弥陀如来)
初層軸部、坐像の下には各面とも、蓮華座を刻む(北面:弥勒) 豊後における石塔の最高峰で、鎌倉時代中期の名塔である

基礎は檀上積式で、輪郭内に細い線を入れ、角を削り取った格狭間をつくっている

相輪は後補で、頂部の火焔付宝珠、露盤上の反花・蓮華座、九輪の上に心柱頭を出すなどの国東式相輪

九層屋根上の露盤は、側面を二区に分け、各々内に格狭間を入れる。その上に反花・蓮華座をおく

阿弥陀の向かって左側に刻銘がある 初層軸部、北面の弥勒仏

刻銘:「起立文永二二(四)(1267)大歳丁卯 卯月八日僧定仙敬白」

石造宝塔 残欠(南北朝時代)(九重石塔の横にある)

基礎と笠(写真:左)、塔身と上部を失った相輪(写真:右)が別々に置かれている(石塔の手法を真似た作品)

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檀上積式基礎は、この石塔が最古(近畿においては、この塔と関係なく鎌倉時代後期に始まる)

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*大分バス「水地バス停」下車、東へ約250m。但し、1日1本しかバスが走らない。私の場合、距離があるが 臼杵駅から三重行きに乗車、野津辻バス停で下車 徒歩。

(撮影:平成20年11月21日)