本久寺(ほんきゅうじ)九重石塔

 本久寺(岡山県和気郡和気町佐伯473)

  太王山(たいおうざん)上にあった密厳寺(真言宗)を、天正11年(1583)に領主浮田忠家が、この地に一部を移し日蓮宗に改修し本久寺と改めた

本久寺九重石塔(県指定文化財、鎌倉時代後期 元亨二年 1322年、花崗岩、高さ 675Cm)

初層軸部(正面)、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に釈迦如来坐像を半肉彫りする
九重石塔は、山門に向かって左側立っている 初層軸部(左面)、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に阿弥陀如来坐像を刻む

各層の屋根と軸部を一石で作り、積み上げる。屋根軒は厚く反りは強い

初層軸部(背面)、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に弥勒坐像を半肉彫りする
初層軸部(右面)、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に薬師如来坐像を半肉彫りする 密厳寺跡にあったものを、大正二年(1913)に現在地に移した

基礎は無地。初層軸部と基礎の間に、後で一石を入れている

相輪は欠損し、代わりに宝篋印塔の塔身から上の部分を載せている 初層軸部の四方仏

初層軸部、四方仏三面の両側に刻銘がある

刻銘:「元亨弐季(1322)壬戌八月六日、勧進沙門行心敬白、備前国佐伯荘、大王山密厳寺石塔、起立志者、為法界利益也」

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本久寺は、寛文七年(1667) 不受布施派への弾圧により、廃寺になったが、貞亨四年(1687)に復興した

不受布施:法華宗の僧は、他宗の信者の布施を受けず、信者は他宗の僧に供養してはならないとする。江戸

幕府は、寛文五年(1665年)に禁止した。寛文の殉教者として有名な日閑・日清両上人は、本久寺で修行した

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*JR山陽本線 和気駅前より備前片鉄バス 柵原(やなはら)病院前方面行き乗車、「矢田バス停」下車 徒歩 約30分。本数が少ないため注意。和気駅から本久寺までは、徒歩 約90分

(撮影:平成20年12月19日)