来迎寺(らいこうじ)(奈良県山奈良市来迎寺町126)
来迎寺は、寺伝によると僧 行基により開創された。この地の豪族 多田満仲の一族や東山内衆の菩提寺として栄えた
来迎寺石造宝塔(重要文化財、鎌倉時代後期 延慶三年 1310年、花崗岩、高さ 224Cm)
屋根と露盤は一石でつくり、露盤の側面は二区で各々格狭間を入れる | ||
本堂の裏、五輪塔群の向かって右端に立っている | 低い一段の段型の上に、高欄と低い首部をつくる |
屋根は、四隅に降棟(くだりむね)を刻出し、先端に稚児棟を作る。軒反も力強い
塔身軸部は、四隅に柱を作り、上下の長押を一周させ、四方に竪連子入りの桟唐戸(さんからど)を刻出する
笠は、稚児棟や露盤のつくりに特色がある | ||
笠の軒裏に二重の垂木型、中心部に首部を受ける円座を設ける | 宝塔は、各部が建築工芸的な繊細さでつくられている |
基礎は、四面とも素面で装飾がない。正面に刻銘がある
刻銘:「延慶三年(1310)、庚戌四月、上旬拍手、造立畢矣」
相輪部、九輪上の請花・宝珠が欠けているが、鳳閣寺塔と同様に、上の請花の下に反花を刻出して飾る手法を講じていた |
「重要文化財14」や「奈良県史7」で掲載されている写真では、相輪部が完全な姿で写っており、相輪頂部の宝珠と請花は近年に欠失したと思われる
寺蔵の建武四年(1337)の古文書に、如法安置のための多宝之石塔であると記している(日本石造美術辞典 川勝政太郎 著)
来迎寺(らいこうじ) 本堂
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* 近鉄大阪線「榛原駅」より奈良交通バス 針インター行き乗車、「来迎寺バス」停下車、南へ 約100m。また、都祁水分神社の南 約800mの場所にあたる。
(撮影:平成19年9月8日、平成21年10月4日)