多福院(たふくいん)山門脇 後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
五七日忌に造立された石塔婆で、主尊に地蔵種子「カ」を刻む。室町時代前期 明徳四年(1393)の在銘。
多福院 地蔵種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 明徳四年 1393年、粘板岩、高さ 71Cm 幅 26Cm 厚さ 15Cm) |
頭部を剥離する。身部上方の種子は最下部のみ残す。下方に五七日(三十五日)忌の為、造立された願文と紀年銘を刻む。
碑面上方、主尊種子「カ」
剥離し下方だけが残っている。五七日忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」を刻んだものと思われる。
石塔婆下方、刻銘(全文)
刻銘は、中央に「右志者為 明徳二二(四)年(1393)十月日、敬白」の紀年銘、
その両側に各一行「定阿禅門五七日忌景乃至、法界平等利益故也」と刻んでいる。
[ 定阿禅門 五七日忌の追善供養碑として、室町時代前期 明徳四年(1393)十月に造立された。]
刻銘:「明徳二二(四)年(1393)十月日」 | 刻銘:「定阿禅門五七日忌」 |
多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
恵海律師 一周忌に造立された石塔婆で、一周忌の本尊 勢至種子「サク」を刻む。南北朝時代中期 応安七年(1374)の在銘。
多福院 勢至種子石塔婆(市指定文化財、南北朝時代中期 応安七年 1374年、粘板岩、高さ 81Cm 幅 30Cm) |
小さな石塔婆。身部は、上方に一周忌の本尊 勢至種子「サク」、下方に一周忌の願文と紀年銘を刻む。
碑面上方、主尊種子「サク」
一周忌の本尊 勢至菩薩の種子「サク」を薬研彫する。
石塔婆下方、刻銘(全文)
下方中央に「右志趣者為 應安七年(1374)九月十九日、敬白」の紀年銘、
その両側に「以高福前住恵海律師一周、忌菩提乃至法界平等利益也」と刻んでいる。
[ 高福寺前に住んでいた恵海律師 一周忌供養の為、南北朝時代中期 応安七年(1374)九月十九日に造立された。]
刻銘:「應安七年(1374)九」 | 刻銘:「恵海律師一周」 |
多福院(たふくいん)山門脇 後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
「七分全得」の文言を刻む石塔婆で、 唯教 三十三年相当 逆修供養碑として造立された。紀年銘の部分は剥離している。
多福院(たふくいん)種子石塔婆(市指定文化財、紀年不明、粘板岩、高さ 89Cm 幅 44Cm 厚さ 13.5Cm) |
碑面の中央部が剥離し、種子と紀年銘が不明。願文の部分は残っている。
石塔婆下方、刻銘
下方中央に「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日、唯教、敬白」の紀年銘、
その両側に「右志者為唯教七分全得三十、三廻乃至法界平等利益也」と刻んでいる。
[ 唯教 三十三回忌相当 逆修供養の為、造立された。]
多福院(たふくいん)本堂 (曹洞宗)
天台宗 日輪寺の跡に、室町時代末期 元亀元年(1570) 曹洞宗の寺院として再興されたという。
多福院の石塔婆の総数は93基、その内 紀年銘があるものは80基という。
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。
(撮影:平成26年4月10日)