多福院(たふくいん)草刈山石塔婆群 後列 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
阿弥陀種子を主尊とした石塔婆で、鎌倉時代中期 弘安七年(1284)の紀年銘がある。
多福院 阿弥陀種子石塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代中期 弘安七年 1284年、粘板岩、高さ 168Cm 幅 36Cm) |
多福院の東に位置する御所入草刈山(ごしょのいりくさかりやま)から移転された草刈山石塔婆群 十六基の中で一番古い。
角塔婆風の外観。全体に摩耗・風化が進んでいる。身部は、上方に阿弥陀種子、下方は造立趣旨及び紀年銘を刻む。 |
主尊種子「キリーク」、蓮座上月輪内に阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻んでいる。
石塔婆下方、刻銘(全文) | 刻銘:「弘安七年(1284)九月」 |
下方の刻銘は、中央に「弘安七年(1284)九月五日」の紀年銘、左右に「右志者・・・・門、出離生死往生極楽故也」と刻んでいる。
多福院には、紀年銘のある石塔婆が約80基あるが、その中で四番目に古い鎌倉時代中期 弘安七年(1284)の在銘塔。
多福院(たふくいん)草刈山石塔婆群 後列 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
多福院にある南朝年号を刻む 最後の石塔婆で、興国四年(1343)の紀年銘を持つ。これ以後、すべて北朝年号で刻まれている。
多福院 胎蔵界大日種子石塔婆 (市指定文化財、南北朝時代前期 興国四年 1343年、粘板岩、高さ 210Cm 幅 66.5Cm) |
多福院の石塔婆で南朝年号を刻む碑は、延元三年(1338)から興国四年(1343)までの期間に六基あり、いずれも南北朝時代の早い時期にあたる。
また、北朝年号の石塔婆は貞和五年(1349)が初出で、それ以後南朝年号はなく、南北朝時代最終年である明徳三年(1392)までに18基ある。口口・
後列、左端から二番目に立つ。身部は、上方に胎蔵界大日種子、下方は「蓮阿五七日」忌の願文及び南朝年号・紀年銘を刻む。 |
阿号を持つ人物 「蓮阿」は、葛西氏七代吉清と推定されている。(尚、「蓮阿」は、南朝の為 尽力した六代清貞との学説もある。)
主尊種子
現状、種子の涅槃点が見えないが、胎蔵界大日如来の種子「アーク」を刻んでいるものと思われる。
石塔婆下方、刻銘(全文) | 刻銘:「蓮阿五七日」(葛西氏七代吉清) |
下方の刻銘は、中央に「奉為 興国四年(1343)八月十七日、敬白」の紀年銘、
左右に「蓮阿五七日之辰景、乃至法界利益無邊」と刻んでいる。
蓮阿の五七日(三十五日)忌の供養碑として、南北朝時代前期 興国四年(1343)八月十七日に造立された。
多福院 草刈山 胎蔵界大日三尊種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
多福院(たふくいん)草刈山 石塔婆群
興国四年(1343)銘石塔婆は、後列、向って左から二基目。
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。
(撮影:平成26年4月10日)