多福院(たふくいん)草刈山石塔婆群 前列 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
遠州 平清明の「五七日忌(三十五日忌)」に造立された石塔婆で、南朝年号・興国三年(1342)の紀年銘がある。
多福院 金剛界大日種子石塔婆(市指定文化財、南北朝時代前期 興国三年 1342年、粘板岩、高さ 129Cm 幅 28Cm) |
多福院の石塔婆で南朝年号を刻む碑は、南北朝時代の早い時期 延元三年(1338)から興国四年(1343)までの間に六基ある。
丸太状の石材、碑面を削り出し上方に金剛界大日種子「バン」、下方は、「五七日忌(三十五日忌)」の願文及び紀年銘を刻む。 |
下部の刻銘は、中央に「興国三年(1342)、壬午、卯月廿五日 敬白」の紀年銘、
その左右に「右志者為過去遠州平清明、五七日辰景乃至利益之故也」と刻んでいる。
葛西氏総領である清貞が、北朝方に寝返りをした甥の遠州 平清明を討伐し、その五七日忌にたてた石塔婆とされている。
碑面上方、主尊種子「バン」
金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。
刻銘:「興国三年(1342)、壬午、卯月」(南朝年号) | 刻銘:「遠州平清明」 |
※ 三月二十四日に出された北畠顕家御教書(結城文書・同書中世編史料172)に「葛西姪遠江守別心有るの由風聞の間、惣領をして計らい、
此間、討伐せしめ候、おわんぬ」とある。(石巻市発行、「石巻の歴史第八巻」より)
多福院(たふくいん)草刈山石塔婆群 前列 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
阿弥陀種子「キリーク」を主尊とする石塔婆で、室町時代前期 応永二十四年(1417)の紀年銘がある。
多福院 阿弥陀種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永二十四年 1417年、粘板岩、高さ 77Cm 幅 25.5Cm)
頭部はアーチ風。身部は、上方に阿弥陀種子「キリーク」、その下に五輪塔四門の梵字、下方は願文及び紀年銘を刻む。 |
碑面上方、主尊種子「キリーク」
阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。
五輪塔 四門の梵字、下から上へ(向って右端から)
キャ・カ・ラ・バ・ア(右端)(東方、発心門) キャー・カー・ラー・バー・アー(右から二番目)(南方、修行門)
ケン・カン・ラン・バン・アン(左から二番目)(西方、菩提門) キャク・カク・ラク・バク・アク(左端) (北方、涅槃門)
碑面下方、願文・紀年銘
下部の刻銘は、中央に「右志趣者 応永二十二二(四)年(1417)、丁酉、四月日、施主、敬白」の紀年銘、
その向って右に「為見性禅尼逆修追善也」と刻んでいる。
多福院(たふくいん)草刈山石塔婆群 前列 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
上部を欠失した断碑だが、種子の痕跡や銘文などから、格調高い石塔婆であったと思われる。
多福院(たふくいん)種子石塔婆(市指定文化財、紀年銘なし、粘板岩、高さ 77Cm 幅 25.5Cm 厚さ 22Cm) |
上部を欠失し、種子の痕跡を残す。その下に美しい書体の銘文(五行)が残っている。
刻銘:「右造立趣者・・・・・・・、州大仏傍尺迦口・・・・・・、心偏帰仏乗晨昏・・・・・・、
而願其恩者高並五岳伏口・・・、率堵波以資亡魂之菩提口廻口・・・」
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。
(撮影:平成26年4月10日)