多福院 草刈山正慶元年銘種子石塔婆

 多福院(たふくいん)草刈山石塔婆群 前列 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  「三十五日忌(五七日忌)」(本地仏:地蔵)に造立された石塔婆で、珍しい種子を刻んでいる。鎌倉時代後期 正慶元年(1332)の在銘。

多福院 種子石塔婆(市指定文化財、鎌倉時代後期 正慶元年 1332年、粘板岩、高さ 159Cm 幅 26Cm 厚さ 26Cm)
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頭部は山形風。身部は、上方にあまり見かけない種子が刻まれる。下方は、「五七日忌(三十五日忌)」の願文及び紀年銘を刻む。

碑面上方、主尊種子

サトバン(金剛薩埵)の下部が、「バ」の半月形にならず「マ」の様な形になっている。

(石巻市発行「石巻の歴史第八巻」では、「サトバン[金剛薩埵]か」となっている。)

石塔婆 下部、刻銘 (全文) 刻銘:正慶元年(1332)十月

下部の刻銘は、中央に「右奉為 正慶元年(1332)十月廿口日 敬白の紀年銘、

その左右に「有蓮沙弥相當五七日忌景造立、乃早令於三界客舎登法明覚口也」と刻んでいる。

多福院 草刈山阿弥陀種子石塔婆

 多福院(たふくいん)草刈山石塔婆群 前列 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  「三十五日忌(五七日忌)」に造立された石塔婆で南朝年号 延元三年(1338)の紀年銘がある。

多福院 阿弥陀種子石塔婆(市指定文化財、南北朝時代前期 延元三年 1338年、粘板岩、高さ 137Cm 幅 51Cm)

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頭部は山形風。身部上方が剥離し阿弥陀種子「キリーク」の下部が残る。下方は、「五七日忌」の願文及び南朝・紀年銘を刻む。

多福院の石塔婆で南朝年号を刻む碑は、南北朝時代の早い時期 延元三年(1338)から興国四年(1343)までの間に六基ある。

碑面上方、主尊種子

斜めに剥離し、阿弥陀如来の種子「キリーク」の下部が残る。

石塔婆 下部、刻銘 (全文) 刻銘:延元三年(1338)八月

下部の刻銘は、中央に「奉為 延元三年(1338)八月四日、敬白の南朝年号・紀年銘、

その左右に「先妣幽儀相當五七日忌辰出、離生死往生極楽修造如件」と刻んでいる。

「三十五日忌(五七日忌)」の追善供養に造立された石塔婆で、南北朝時代前期 延元三年(1338)八月四日銘がある。

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

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多福院(たふくいん)草刈山 石塔婆群

多福院の東に位置する御所入草刈山(ごしょのいりくさかりやま)から移転された約十六基の石塔婆群で、本堂の裏側に安置されている。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)