多福院(たふくいん)本堂脇石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
最上段に金剛界大日種子「アーンク」(五点具足)を刻んだ十三仏石塔婆で、室町時代前期 応永二十八年(1421)の紀年銘がある。
多福院 十三仏種子石塔婆(中央)(市指定文化財、室町時代前期 応永二十八年 1421年、粘板岩、高さ 124Cm 幅 41Cm)
本堂脇、墓地横に立つ。身部は、最上段に大きく金剛界大日種子、その下、四列三段に残り十二仏、下方に願文と紀年銘を刻む。 |
十三仏碑下方、十二仏を三列四行に刻む。
十三仏は、死者の追善供養のために①.初七日(不動)、②.二七日(釈迦)、③.三七日(文殊)、④.四七日(普賢)、⑤.五七日(地蔵)、⑥..六七日(弥勒)、⑦.七七日(薬師)、
⑧.百ヶ日(観音)、⑨.一周忌(勢至)、⑩.三回忌(阿弥陀)、⑪.七回忌(阿閦)、⑫.十三回忌(大日)、⑬.三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。・・
最初の十仏は、閻魔王など十王の本地仏を、初七日(不動)から三回忌(阿弥陀)までに当て、この十仏に七回忌 阿閦、十三回忌 大日、三十三回忌 虚空蔵を加えたのが十三仏。
本碑では、十二仏の順番が中途からランダムになっている他、最後の三十三回忌・虚空蔵が金剛界大日(バーンク)となっており、定型化間近頃の作品と思われる。
当地域で、十三仏碑の仏尊が定型化するのは室町時代 十五世紀中頃以降なる。その間は、十三仏碑の多くが最後の三仏いずれかを金・胎大日に変えて刻んでいる。
十三仏の最上段
⑬.金剛界大日如来(五点具足)(三十三回忌)の種子「バーンク」
⑥.弥勒菩薩(六七日) | ⑦.薬師如来(七七日) | ⑫.胎蔵界大日如来(十三回忌) | ⑩.阿弥陀如来(三回忌) |
(ユ) | (バイ) | (アーンク) | (キリーク) |
十二仏部 一段目
⑫..胎蔵界大日如来は、空点があり「アーンク」。
⑧.観音菩薩(百ヶ日) | ⑪.阿閦如来(七回忌) | ⑨.勢至菩薩(一周忌) | ⑤.地蔵菩薩(五七日) |
(サ) | (ウーン) | (サク) | (カ) |
十二仏部 二段目
④.普賢菩薩(四七日) | ③.文殊菩薩(三七日) | ②.釈迦如来(二七日) | ①.不動明王(初七日) |
(アン) | (マン) | (バク) | (カーン) |
十二仏部 三段目
十三仏の順序は、十二仏部の三段目右端 ①.不動明王「カーン」を基点として左側へ、二段目右⑤.地蔵菩薩「カ」の後
は、忌日(年)の順番が乱れ、ランダムに十二仏部 一段目へと続き、最上段⑬.金剛界大日如来(五点具足)「バーンク」で終わる。
石塔婆 下部
身部中央に、「右志者 應永二十八年(1421)八月日、施主、敬白」の紀年銘、
その両側に「為性春禅門逆修、乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。
本碑は、性春禅門の逆修供養の為、室町時代前期 応永二十八年(1421)八月に造立された。
多福院には、本碑を含めて三基の十三仏碑があるが、いずれも逆修供養碑として造立されている。
石塔婆 下部 の刻銘 | 刻銘:「應永二十八年(1421)八月日」 |
※ (参考) 当サイトに掲載している十三仏板碑(石塔婆)の一覧。
多福院(たふくいん)本堂脇 石塔婆群
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。
(撮影:平成26年4月10日)