専称廃寺跡康応二年銘名号石塔婆

 専称廃寺跡(せんしょうはいじあと)(菅原神社)(宮城県石巻市湊字鹿妻山)

  追善供養の年忌「三十三廻」を刻む名号石塔婆で、南北朝時代後期 康応二年(1390)の紀年銘がある。

専称廃寺跡 名号石塔婆 (南北朝時代後期 康応二年 1390年、粘板岩、高さ 88Cm 幅 24Cm 厚さ 12Cm)

石塔婆は、中央に大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号、下方の左右に「住阿弥陀仏」の法号・「三十三廻」の年忌及び紀年銘を刻む。

石塔婆、下方の刻銘

名号の向って右側に「住阿弥陀佛 三十三廻、左側に「康応二年(1390)三月廿四日」と刻む。

刻銘:康応二年(1390)三月廿四日」 刻銘:「住阿弥陀佛 三十三廻」

専称廃寺跡永徳二年銘逆修名号石塔婆

 専称廃寺跡(せんしょうはいじあと)(菅原神社)(宮城県石巻市湊字鹿妻山)

  専称廃寺跡 名号石塔婆群で、一基だけある逆修碑。南北朝時代後期 永徳二年(1382)の紀年銘がある。

専称廃寺跡 名号石塔婆 (南北朝時代後期 永徳二年 1382年、粘板岩、高さ 90Cm 幅 25Cm 厚さ 11Cm)

石塔婆は、中央に大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号、下方の左右に「善阿弥陀仏、逆修」及び紀年銘を刻む。

石塔婆、下方の刻銘

名号の向って右側に「善阿弥陀佛、逆修、左側に「永徳二年(1382)七月廿八日」と刻む。

逆修供養碑は、この一基だけで、あとは追善の為に造立された石塔婆になる。

刻銘:永徳二年(1382)七月」 刻銘:「善阿弥陀佛、逆修」

専称廃寺跡永徳三年銘名号石塔婆

 専称廃寺跡(せんしょうはいじあと)(菅原神社)(宮城県石巻市湊字鹿妻山)

  上部を欠損する石塔婆で、「三十三年」忌供養のため造立された。南北朝時代後期 永徳三年(1383)の紀年銘がある。

専称廃寺跡 名号石塔婆 (南北朝時代後期 永徳三年 1383年、粘板岩、高さ 76Cm 幅 32Cm 厚さ 13Cm)

石塔婆は、中央の六字名号の上部を欠損する。名号の下に「三十三年」の忌年、左右に「貞阿弥陀仏」の法号と紀年銘を刻む。

石塔婆、下方の刻銘

名号の下に「三十三年」、その向って右側に「貞阿弥陀佛」、左側に「永徳三年(1383)、五月、廿八日」と刻んでいる。

専称廃寺跡応永二十一年銘名号石塔婆

 専称廃寺跡(せんしょうはいじあと)(菅原神社)(宮城県石巻市湊字鹿妻山)

  「三十三年」忌供養のため造立された石塔婆で、被供養者の法名が阿号ではなく「智現禅門」となっている。

専称廃寺跡 名号石塔婆 (室町時代前期 応永二十一年 1414年、粘板岩、高さ 94Cm 幅 18.5Cm 厚さ 12Cm)

石塔婆は、中央に大きく六字名号、その下方に「相当三十三年忌」、両側に「智現禅門」、「應永二十一年(1414)二月十七日」と刻む。

※ 専称廃寺跡(せんしょうはいじあと)の石塔婆一覧

  専称廃寺跡 私年号 名号石塔婆                        石仏と石塔-目次!

専称廃寺跡(菅原神社)石塔婆群

石塔婆群は、菅原神社の裏手に37基、このうち32基が名号を刻んでいる。

前列中央から、左隣に康応二年(1390)銘碑、右隣に永徳二年(1382)逆修碑、後列中央から右隣に応永二十一年(1414)碑。

 板碑(いたび)

*JR石巻線 「渡波(わたのは)駅」下車、北西方向へ徒歩 約2.3Km。

(撮影:平成26年4月10日)