慈恩院(じおんいん)胎蔵界大日種子石塔婆

 慈恩院(じおんいん)(宮城県石巻市吉野1-3-15)

  慈恩院を代表する石塔婆で五七日忌の追善供養として造立された。石塔婆群中最古 鎌倉時代中期 弘安七年(1284)の紀年銘がある。

慈恩院胎蔵界大日種子石塔婆(中央)(鎌倉時代中期 弘安七年 1284年、粘板岩、高さ 180Cm 幅 35Cm 厚さ 23Cm)

身部は、上方 蓮座上月輪内に胎蔵界大日種子「アーク」、下方に涅槃経に出る偈(げ)及び造立趣旨・紀年銘を刻む。

石塔婆 上部

蓮座上月輪内に胎蔵界大日如来の種子「アーク」を薬研彫する。

身部下方 上段、涅槃経に出る偈(げ)

偈(げ):「一切衆生(いっさいしゅじょう)、悉有佛性(しつうぶっしょう)、如来常住(にょらいじょうじゅう) 、無有変易(むうへんやく)

[ 一切の衆生は、ことごとく仏性あり、如来は常住にして、変わることなし。 ]

身部下方、銘文(造立趣旨・紀年銘) 刻銘:弘安六年十月中旬・・、同七年壬四月廿六日・・相當五七日

銘文:「右過去牧山宮口口重吉自去弘安六年十月中旬口口口身病侵」「捜口口無常口口有来同七年壬四月廿六日

魂移於陀世已来十二」、「因縁之流転雖側於戯月行日重漸相當五七日之忌辰造立」

遮那之妙躰已着御菩提到口勝過三界之浄刹也、干時弘安七年、甲申、六月二日敬白」

「牧山宮口口重吉」弘安六年(1283)十月中旬より病にかかり、同七年四月二十六日に亡くなり、五七日忌に相当する六月二日に、造立する。

「遮那」すなわち毘廬遮那仏を主尊として造立するという趣旨が刻されている。・・・・・。そして、真言密教では遮那を教主である大日如来で表現するとされる。

(石巻市発行、「石巻の歴史第八巻」より)

刻銘:「遮那之妙躰」 刻銘:干時 弘安七年(1284)六月二日、敬白

身部、下方

四行目の最後に、二行で「干時弘安七年(1284)、甲申、六月二日敬白」の紀年銘を刻む。

慈恩院(じおんいん)石塔婆群

慈恩院には、十五基の中世石塔婆が存在する。慈恩院は、江戸時代初期に建立されており、隣接する

多福院のように、その前身が中世まで遡る歴史はなく、石塔婆は多福院にあるものと一体として考えられている。

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

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慈恩院(じおんいん)(臨済宗妙心寺派)

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.7Km。

(撮影:平成26年4月10日)