天神社(てんじんしゃ)十三重石塔(京都府木津川市山城町神童子字不晴谷177)
天神社は神童寺の鎮守として創建された。十三重石塔は、基礎に鎌倉中期 建治三年(1277)の銘があり、この時代の基準となるもの。
天神社(てんじんしゃ)十三重石塔(重要文化財、鎌倉時代中期 建治三年 1277年、花崗岩、高さ 415Cm)
初層軸部、二重円光形に彫り沈め顕教四仏を半肉彫りする(南面:釈迦) | ||
十三重石塔は、境内西北端の木立の中、玉垣に囲まれて立っている | 初層軸部、二重円光形に彫り沈め顕教四仏を半肉彫りする(西面:阿弥陀) |
初層・二層 屋根
屋根は緩やかに反り、上部に上層軸部、軒下に一重の薄い垂木型をつくりだす。
初層軸部北面、顕教四仏は弥勒に代わって、錫杖の地蔵が刻まれている | ||
初層軸部、二重円光形に彫り沈め顕教四仏を半肉彫りする(東面:薬師) | 鎌倉時代中期の様式を伝える、貴重な在銘石塔である |
初層軸部は、美しい顕教四仏が刻まれているが、北面のみ弥勒仏に代わって、右手に錫杖・左手に宝珠を持った地蔵菩薩が刻まれている。
鎌倉時代中期以降に顕教四仏の南面(釈迦)か北面(弥勒)を地蔵菩薩にしたものがあらわれるが、天神社はその早期の例で、地蔵信仰が持ち込まれる。
基礎 西面
基礎は低く、安定している。西面に七行にわたり刻銘があり、鎌倉時代中期 建治三年(1277)に造立されたことが分かる。
刻銘:「右志者、為父母先師、法界衆生、平等利益、造立□□、建治三年(1277)丁丑、十月三日」
相輪は下から、伏鉢・請花・九輪・水煙・竜車・宝珠で完存する。石塔は、高い所に据えられ、付近は昼でも薄暗く、、撮影環境は悪い |
天神社(てんじんしゃ)石造宝塔(鎌倉時代末期、花崗岩、笠上までの高さ 約90Cm)
笠、軒裏は木造塔と同じ二軒繁垂木を細かく刻んでいる | ||
本殿の左手の山裾に立つ。相輪は欠失し、五輪塔の風・空輪を載せる | 基礎、輪郭を巻き内は無地 |
塔 身
塔身に法華経 法師品に出る偈(げ)が刻まれている
偈(げ):「得見此塔(とくけんしとう)礼拝供養(らいはいくよう)当地是等(とうちぜとう)阿耨菩提(あのくぼだい)」
[ この塔を見ることを得、礼拝し供養すれば、まさに知るべし、これ等は皆、菩提(悟り)に近づけることを ]
天神社(てんじんしゃ)本殿 (府指定文化財、室町時代)
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*JR奈良線「棚倉駅」下車、東南方向へ 徒歩 約40分。
(撮影:平成19年11月11日、平成23年7月9日)