清涼寺(せいりょうじ)宝篋印塔

 清涼寺(せいりょうじ)(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46)

  清涼寺には、鎌倉時代後期の宝篋印塔が二基あり、一基は源融(みなもとのとおる)の塔と呼ばれ風格ある姿を見せている

  清涼寺(せいりょうじ) 宝篋印塔(源融 塔)

清涼寺(せいりょうじ)宝篋印塔 (鎌倉時代後期、花崗岩、相輪を除く高さ 163Cm)

塔身、金剛界四仏の種子を刻む(正面、タラーク:宝生如来)
宝篋印塔は、仁王門をくぐって左手、木造多宝塔の後方に立っている 塔身、金剛界四仏の種子を刻む(南面、キリーク:阿弥陀如来)

塔身には、金剛界四仏の種子が刻んであるが磨滅が激しくほとんど読めない。ウーン(阿閦如来)が、確認できるのみである。

笠の段型は、下が珍しい三段、上は通常の六段、隅飾りは別石になり、三弧輪郭付で内部に蓮華座上月輪を陽刻し、梵字「ア」を刻む

塔身、金剛界四仏の種子を刻む(背面、アク:不空成就) 塔身、金剛界四仏の種子を刻む(北面、ウーン:阿閦如来)

切石の上に、基礎を無くし、別石で造られた単弁反花座のみが残っている

隅飾り内部に蓮華座上月輪を陽刻し梵字「ア」を刻む 宝篋印塔は、鎌倉時代後期初めの作。相輪は後補

隅飾りが三弧輪郭付で、八面とも内部に蓮華座上月輪を陽刻し梵字「ア」を刻んだものが、奈良の壺阪寺にある

しかも、壺阪寺塔は、笠の段型が珍しい下三段で同様、別石の単弁反花座も同様で、姿がよく似ている。・・・・・・・

  清涼寺(せいりょうじ) 宝篋印塔

清涼寺(せいりょうじ)宝篋印塔(鎌倉時代後期、花崗岩)

塔身、月輪内蓮華座上に金剛界四仏の種子を刻む(正面、ウーン:阿閦)
同じ石柵に囲まれた石造層塔(平安時代後期)の北側に立っている 塔身、月輪内蓮華座上に金剛界四仏の種子を刻む(南面、タラーク:宝生)

笠の段型は、下一段、別石で上六段、隅飾りは四個とも欠失する

月輪内蓮華座上に金剛界四仏の種子を刻む(西面、キリーク:阿弥陀)
塔身、月輪内蓮華座上に金剛界四仏の種子を刻む(北面、アク:不空成就) 石塔は、嵯峨天皇の塔との伝承がある。相輪上部を欠失

基礎は四面とも側面無地で、上に別石で複弁反花座を載せる

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清涼寺仁王門 (府指定文化財、江戸時代再建)

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* JR山陰本線「嵯峨嵐山」下車、徒歩 約20分。京都市バス、京都バスにて「嵯峨釈迦堂バス停」下車 徒歩約2分。

(撮影:平成20年12月22日、平成19年7月15日・3月11日、平成15年6月29日)