高山寺石水院(こうざんじせきすいいん)笠塔婆

 高山寺(こうざんじ)(京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8番地)

  石水院(国宝)は、鎌倉時代前期に仁和寺の僧 覚暹(かくせん)により金堂の東に建立され、明治二十二年(1889)に現在地に移築された。

高山寺石水院笠塔婆(重要美術品、鎌倉時代後期 元亨二年 1322年、花崗岩、高さ 170Cm)

宝珠・笠、笠の軒幅は小さい
笠塔婆は、石水院の入口に立っている 基礎、塔身に比べ大きく、方形をしている

石水院(国宝)は、明恵上人が禅堂とした庵室で後鳥羽天皇の学問所を移築した。また、上人在住時代の唯一の建造物である

塔身、笠、宝珠を一石で作る。背面の銘文により、もと木造の笠塔婆が朽損した為、元亨二年(1322)に石造笠塔婆に作り変え、元の字を残した

正面上部に小さく梵字三字を刻み、その下に大きく「石水院」、その下に「建保五秊(1217)以後数箇秊、住此処後山、号楞伽山」の刻銘があり、

向かって左側面に「天福元年(1233)癸巳十月三日造立之」の刻銘がある。正面と左側面は、石造塔婆を建替える前に刻まれていた木造塔婆の文面。

背面に三行にわたって「天福秊中所造立板率都婆朽損、(仍)元亨二年(1322)十二月一日、

以石造替供(養)、於梵漢之字者任古畢、願主比丘尼明(雲)」と上記、古い塔婆を、新しい塔婆に建て替えたとの文面を刻む。願主は比丘尼明雲

左側面に「天福元年(1233)癸巳十月三日造立之」と刻む 塔身正面、「石水院」の名を大きく刻む

明恵上人修行の場であった和歌山県湯浅町の白上山にある「白上(しらかみ)明恵上人笠塔婆」も南北朝時代に、木造から石造笠塔婆に建替えられている

 高山寺(こうざんじ)仏足石

高山寺 仏足石(明治年間の再造)

仏足石は、釈尊の足跡を印した石で、釈尊入滅後、仏像が造られるまでの長い間、崇拝の対象であった

明恵上人は、特に釈迦に対する思慕の厚い人であったため、これに因んで造られた

仏足石の文様 (「み佛の踏みし蹟どころ」 松久保 秀胤 著:薬師寺発行より

高山寺の境内は広大で、有名な紅葉の名所でもある。全域、史跡に指定されている。シーズン以外は無料で入山できるのが好ましい

 高山寺(こうざんじ)如法経塔(一重石塔)                    石仏と石塔-目次!

高山寺 金堂

寛永十一年(1634)、仁和寺の金堂を移築した。本尊は釈迦如来像。

 笠塔婆(かさとうば)

*JR京都駅よりJRバスにて「栂尾」下車、徒歩約5分。

(撮影:平成19年4月28日、平成22年5月21日)