燈明寺(とうみょうじ)〈京都府木津川市加茂町兎並(うなみ)寺山〉
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により僧 行基が開いたという。現在は、寺跡が残るのみで、三重塔(重文)や本堂(重文)は横浜市にある三渓園に移築されている。
燈明寺(とうみょうじ)十三重石塔 (南北朝時代、花崗岩)
初層軸部、金剛界四仏の種子を大きく刻む(西面、キリーク:阿弥陀如来) | ||
御霊神社の北側に隣接する、燈明寺本堂跡に立っている | 初層軸部、金剛界四仏の種子を大きく刻む(北面、アク:不空成就) |
初層・二層屋根
屋根は緩やかに反り、軒下に一重の垂木型をつくる
初層軸部、金剛界四仏の種子を大きく刻む(東面、ウーン:阿閦如来) | ||
初層軸部、金剛界四仏の種子を大きく刻む(南面、タラーク:宝生如来) | 現在位置より東南の場所にあって、倒壊していたものを復元した |
基 礎 (西面)
輪郭を巻き格狭間内に、近江文様の三茎蓮文様を陽刻する。三茎蓮は、奈良文化圏の南山城地域では珍しい
基礎(北面)の三茎蓮文様 | ||
相輪は決失する。後方に見える梵鐘は、貞享五年(1688)の銘がある | 基礎(東面)の三茎蓮文様。この面のみ破損する。 |
基 礎 背 面 (南面)
少しづつ違った形の三茎蓮文様を、四面に刻んでいる
燈明寺(とうみょうじ)石燈籠(鎌倉後期のものを江戸中期に摸作)
燈明寺石燈籠(江戸時代中期、三井家に売却された鎌倉後期作の名物の摸作、花崗岩、高さ 233Cm) |
大和系六角型石燈籠で、中台の上端は小蓮弁で側面は走獅子、火袋中区の意匠は、竪連子に唐草上の円窓と花菱つなぎ、牡丹など名物の名にふさわしい品格をもつ
御霊神社(ごりょうじんじゃ)
燈明寺の旧境内にあり、古くは燈明寺の鎮守社であったといい、本殿は重要文化財に指定されている
燈明寺 跡地、現在、十三重石塔や石燈籠(摸作)が置かれている | 旧 燈明寺本堂(三渓園・横浜市)(重要文化財、室町時代初期) |
三渓園(さんけいえん) 旧 燈明寺本堂・三重塔 (神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1)
横浜の実業家の元邸宅に京都・鎌倉等から重文棟10棟を含む、17棟の古建築を移築し「三渓園」として公開した。燈明寺の本堂、三重塔とも三渓園に移築されている。
旧 燈明寺三重塔(重要文化財、室町時代 康正三年 1457年、本瓦葺、高さ 23.9m)
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*JR関西本線 「加茂駅」下車、東北東方向へ徒歩 約10分。
(撮影:平成22年10月13日、三渓園は平成17年2月12日)