伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)(京都市伏見区深草藪之内町68)
京都系八角型石燈籠。中台から下が鎌倉時代後期の本来もので、火袋から上は推定復元だが、調和のとれた美しい姿を見せている。
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)石燈籠 (鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 221Cm、中台以下の高さ 126Cm)
本殿に向って右側、植込みの中に立っている。古いのは中台から下で、昭和29年 火袋から上を川勝政太郎博士が設計、復元された。 |
数多くある伏見稲荷の石燈籠の中で、鎌倉時代に迄さかのぼる石燈籠はこの一基のみ。多くは、江戸時代以降のもの。
宝 珠・ 笠
推定復元されたもので、笠は石清水八幡宮 六角石燈籠と同様 頂上に請花を作り出す。
火 袋
推定復元されたもので、上区は縦連子と二区横連子を各二面 交互に刻む。
中区は幅広の火口四面、中央に縦線を入れた壁面四面の構成。下区は一区で、内に格狭間をつくる。
中 台
上端は薄い一段で、側面は輪郭をとり内は無地、下端は大きい単弁の蓮弁を八葉配置する。
竿(さお)は三節つきの円柱。中節の上・下に「右造立志者、為沙弥西仏、沙弥尼了妙、幷与力衆等、・・・・」の刻銘があった。 |
石燈籠は、在俗出家の夫妻、西仏と尼了が多くの助成者とともに奉献した。
しかし、本来の刻銘は故意に削られ、江戸時代に火袋以上を補って再興した際、伏見の顔役 「砂子川事 伏水鍵本文右衛門」が
自分の名を入れ奉納したとされる。そのおかげで「明治の廃仏毀釈の難を逃れた。」という皮肉な結果となっている。口口口口口・
基 礎
上端は低い一段を作り出し、上に複弁の反花を配する。
側面は、現在土に埋もれているが、八面とも輪郭を巻き内に格狭間を作っている。
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)内拝殿
奥の本殿(五間社流造)は、室町時代中期 明応三年(1494)の建立で、重要文化財に指定されている。
上醍醐町石(かみだいごちょういし)笠塔婆 (1) 石仏と石塔-目次!
伏見稲荷大社 楼門
伏見稲荷大社は、全国に約三万社あるといわれる稲荷神社の総本社。
* 京阪電鉄「伏見稲荷駅駅」またはJR奈良線「稲荷駅」下車、すぐ。
(撮影:平成25年7月31日)