京都国立博物館(きょうとこくりつはくぶつかん)(京都市東山区茶屋町527)
博物館の北東500mほど、馬町の路地裏に南北に並んで立っていた。石塔は、源義経の家来、佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられてきた。
旧 馬町(きゅううままち)十三重石塔 南塔 (鎌倉時代後期 永仁三年 1295年、花崗岩、高さ 約600Cm)
京都国立博物館の南門を入ると正面に二基立っている。二基とも鎌倉時代後期の古塔で、南塔に「永仁三年(1295)」の紀年銘がある。 |
江戸時代、北塔は五層、南塔は三層となっており、上層の石は、塚の土留めとして残されていた。昭和十五年(1940)に解体修理が行われ現在の姿になった。
初層・二層屋根
軒反(のきぞり)は力強く、軒裏の垂木型はない。各層屋根の上部に上層の軸部を作り出す。
初層 軸部
側面は四面とも無地。上端に直径約24Cm、深さ18Cmの円形納入孔があり、昭和15年の解体修理時に多数の納入品が発見されている。
南塔納入品:「阿弥陀立像、弁財天坐像、蔵王権現立像、多聞天立像、元三大師書像、金銅五輪塔、水晶五輪塔、五鈷杵」
北塔納入品:「善光寺如来三尊立像、阿弥陀立像、不動明王、多聞天、聖観音、歓喜天立像、多宝塔、水晶筒、六角形筒」
基 礎
基礎は四面とも無地で、南塔の一面に刻銘がある。
刻銘:「永仁三年(1295)、二月廿日、立之、願主、法西」
二基の石塔は、鎌倉時代後期 永仁三年(1295)に法西が願主となり多くの助成者を募り同時に建立したと考えられている。
旧 馬町(きゅううままち)十三重石塔 北塔 (鎌倉時代後期 、花崗岩、高さ 約600Cm)
北塔は無銘で紀年銘はないが、南塔と同時期の鎌倉時代後期に建立されたと考えられている。二基とも相輪は小さく、別物を流用する。 |
旧 雲岩寺(きゅう うんがんじ)石燈籠 (京都国立博物館) 石仏と石塔-目次!
旧 馬町(きゅう うままち)十三重石塔 二基 (鎌倉時代後期)
向って左側が南塔、右側が北塔。
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* JR・近鉄京都駅より京都市バスにて「博物館・三十三間堂前」下車 徒歩1分。
(撮影:平成25年1月23日)