乳井(にゅうい)神社一尊種子石塔婆(弘前市史 No:弘前14)

 乳井神社(にゅういじんじゃ)(青森県弘前市乳井字外ノ沢67-3)

   種子「オン」を主尊とする珍しい石塔婆で、鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)の紀年銘がある。

一尊種子石塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元二年 1304年、石英安山岩、高さ 101Cm 幅 36Cm 厚さ 31Cm)

乳井神社社殿に向って左側横に立つ。奥行のある石塔婆で、石面上方に種子「オン」、下方に三行 造立趣旨と紀年銘を刻む。

「オン」:「オーン」とも。唵(おん)と音写する。聖音。陀羅尼を誦するときに、初めに唱えるものである。インドでは、宗教的儀式の前後に唱える神聖な音であった。

オンは、a・u・mの三字による合成であるとし、それぞれが万物の発生・維持・終滅を示すものと解された。真言密教に入って神聖な呪語となり、たとえば『守護国界

主陀羅尼経』 第一には、それを法・報・応の三身に配し、三世の五仏(金剛界五仏)は、この字を観じて成仏するという。(「仏教美術辞典」、東京書籍、部分)口口

石塔婆 上方

種子「オン」を薬研彫する。

種子「オン」は、金剛界大日如来、阿弥陀曼荼羅中央尊の阿弥陀如来、理趣会曼荼羅中央尊の金剛薩埵として知られる。

当市 中別所石塔婆群や鹿児島県霧島市の沢家墓地(さわけぼち)板碑群に種子「オン」を刻む板碑がある。

石塔婆 下方

左右に「右志為過去幽儀、口法界衆生故也」、中央に「嘉元二年(1304)七月 日」と刻まれている。

刻銘:嘉元二年(1304)七月 種子「オン」を刻む珍しい石塔婆。

石材は、大鰐町(おおわにまち)周辺で産出する石英安山岩を使用する。

乳井神社 社殿(市指定文化財、江戸時代前期 明暦元年 1655年、入母屋造、鉄板葺)

津軽藩 三代藩主津軽信義により毘沙門堂として建立され、明治の神仏分離で現社名となった。

乳井神社の前身は、中世この地に大きな勢力を持っていた熊野系修験寺 「福王寺」で、平安時代後期

承暦二年(1078) 白河天皇の勅願により「東夷調伏」の為、毘沙門天を安置し福王寺を開創したといわれる。

 乳井神社墓地 正安三年銘 阿弥陀種子石塔婆              石仏と石塔-目次!

乳井神社(にゅういじんじゃ)

神社の前身「福王寺」は、当初 現在の乳井字古堂に伽藍があったが、後、現在地に移ったという。

 板碑(いたび)

*弘南鉄道 大鰐線「石川プール前駅」下車、北東方向へ 約1.7Km。または弘前バスターミナルから弘南バス 弘前~平賀線に乗車、「石川入口バス停」下車、南方向へ約650m。「弘前駅観光案内所」で、レンタサイクルを利用するのも便利。

(撮影:平成25年10月14日)