真福寺(しんぷくじ)(山口県周南市福川中市町6-27)
三基ある石塔婆の左端に位置する。主尊部は墨跡が残るのみで、左下に紀年銘の一部が墨書きで残る。
真福寺(しんぷくじ)八月二十三日銘石塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代後期、平野石:安山岩、高さ 145Cm)
本堂北側、石塔婆群の左端に立つ。身部は、梵字の墨書があった思われるが不明。左下に紀年銘が一部、墨書きで残っている。 |
板碑 根部
根部は、薄く突出する。
左下墨書:「二年、己酉、八月廿三日」 | 現地説明板(部分) |
石塔婆は鎌倉時代後期の造立と推定され、残る二年と己酉の干支から「延慶二年(1309)、己酉、八月二十三日」と推定できる。
真福寺(しんぷくじ)無銘 石塔婆(山口県周南市福川中市町6-27)
三基ある石塔婆の右端に位置する。表面は墨書があったものと推定されるが不明。
真福寺 無銘石塔婆 (市指定文化財、推定:鎌倉時代後期、平野石:安山岩、高さ 109Cm)
真福寺(しんぷくじ)石塔婆群(三基) (市指定文化財、鎌倉時代後期 )
三基の石塔婆は、もと真福寺北側の福川小学校、その北側にあった隠居寺で発見され当地に移された。
真福寺(しんぷくじ)本堂 (曹洞宗)
江戸時代初期 建咲院(けんしょういん)四世 仁庵等怒(にんなんとうじょ)により開かれた。*JR山陽本線 「福川駅」下車、北西方向へ徒歩 約7分。
(撮影:平成26年 3月13日)