慈福寺(じふくじ)宝篋印塔

 慈福寺(じふくじ)(山口県周南市桜木2-7-35)

  山口県下最大の宝篋印塔で、足利尊氏の「逆修塔」と伝えるが、その様式から それより古い鎌倉時代後期のものと推定されている。

慈福寺(じふくじ)宝篋印塔 (市指定文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、基壇から相輪までの高さ 317Cm)

塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(南面、バン:金剛界大日如来)
本堂に向って左手より登る裏山の墓地、最上段に立っている。 塔身 西面、素面とする。

山口県の中世宝篋印塔は、塔身四面がほぼ素面であるが、本宝篋印塔の塔身は正面に「バン」が刻まれ、その前段階と位置付けされている。

段型は下二段、上六段で、隅飾りは別石で三弧輪郭付。

塔身 北面、素面とする。
塔身 東面、素面とする。 宝篋印塔は、細部の特徴から鎌倉時代後期の作品とみられている。

大型宝篋印塔の為、隅飾りと段型の上三段以上が別石となっている。

相輪は、下から露盤・請花・九輪・請花・宝珠で、請花は上下とも縁どりのある単弁。惜しくも、下の請花と九輪の背面が損傷している。

基 壇

現在、基礎はなく、切石三段の基壇上に塔身を直接載せている。

基壇は、最上段が塔身を受ける寸法になっている為、後補の可能性もある。

慈福寺(じふくじ)宝篋印塔 (市指定文化財、鎌倉時代後期)

山口県下、最古最大の宝篋印塔と考えられている。

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慈福寺(じふくじ)(曹洞宗)

江戸時代 長州藩の記録から、鎌倉時代後期 元亨二年(1322)には、禅宗 慈福寺として存在していたという。

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*JR山陽本線 「櫛ヶ浜駅」下車、北東方向へ徒歩 約30分。

(撮影:平成26年 3月13日)