清尾(せいのお)阿弥陀三尊種子石塔婆

 清尾(せいのお)阿弥陀三尊種子自然石塔婆(山口県周南市清尾601)

   花崗岩の自然石に阿弥陀三尊種子を刻む自然石塔婆で、南朝年号 正平十年(1355)の紀年銘がある。

清尾 阿弥陀三尊種子石塔婆 (市指定文化財、南北朝時代 正平十年 1355年、花崗岩、高さ 205Cm 幅 50Cm)

民家の裏側、一段高い竹薮の中に立つ。身部は、上方に阿弥陀三尊の種子、下方と向って左側面に願主名と南朝紀年銘を刻む。

昭和三十五年(1960)頃、民家を新築する際発見された石塔婆で、その民家の裏手 一段高い竹藪の中に安置されている。

石塔婆 上部

阿弥陀三尊の種子を薬研彫する。三尊とも月輪はなく、碑面に直接刻まれている。

三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。

身部下方(向って左側面) 身部下方(正面)

身部下方は、正面下方「沙弥尼心法」、向って左側面に「正平十年(1355)、乙未、二月廿日沙弥道念、敬白と刻む。

沙弥尼 心法と沙弥 道念が南北朝時代 正平十年二月二十日に本石塔婆を造立した。心法と道念は夫妻か?。

石塔婆、根部

根部は、突出する。

刻銘:正平十年(1355)、乙未、二月廿日」 刻銘:「沙弥道念、敬白

本石塔婆の正平十年(1355)は、当地の守護職 大内弘世が南朝の武将として活躍した時代にあたり、石塔婆も珍しい南朝年号で刻まれている。

正平六年(1351)大内弘世は、南朝の周防守護職に任じられ、正平十三年(1358)長門を平定し防長二国の守護となる。その後、二代将軍

足利義詮(よしあきら)は防長二国の守護職を認める条件で弘世に北朝への復帰を促し、弘世は正平十八年(貞治二年:1363年)北朝に帰順する。

正面の刻銘:沙弥尼心法 石塔婆、向って右側面

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民家の道路側

石塔婆を模した石塔が立っている。この裏側、一段高い所に石塔婆が立つ。

 板碑(いたび)

*JR岩徳線 「高水駅」下車、南東方向へ徒歩 約31分。下清尾集会所より北北西 約80m。

(撮影:平成26年 3月13日)