金剛寺(こんごうじ)(山口県柳井市柳井3492)
笠と基礎を残す宝篋印塔で、他は江戸時代中期の後補。基礎に、南北朝時代 初年 建武元年(1334)の紀年銘がある。
金剛寺 宝篋印塔 (市指定文化財、南北朝時代前期 建武元年 1334年、花崗岩、基礎から相輪までの高さ 240Cm)
塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(南面、タラーク:宝生如来) | ||
宝篋印塔は、本堂に向って左手側の境内に立っている。 | 塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(西面、キリーク:阿弥陀如来) |
塔身は、江戸時代中期 享保二年(1717) 金剛寺中興二世 湛然(たんねん)により相輪と共に補修・後補した。
笠
段型は下二段、上六段で、隅飾りは二弧輪郭付、やや外傾する。
塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(北面、アク:不空成就) | ||
塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(東面、ウーン:阿閦如来) | 宝篋印塔は、南北朝時代 初年 建武元年(1334)の在銘。 |
宝篋印塔は、もと当寺の南東下にあった真言宗 清泰院(せいたいいん)の遺構。清泰院は、宝篋印塔造立の約百年後、永享六年(1434) 天台宗に改宗している。
基礎 (正面と両側面)
上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。
相輪は、下から露盤・請花・九輪・請花・宝珠で、江戸時代中期の後補。やや太く、調和を欠いている。 |
尚、塔身を受ける笠下の寸法は46Cm角、基礎上端の寸法は40Cm角で、寸法が合わず、笠と基礎が一具のものでない可能性もある。
基礎、背面
側面は輪郭を巻き、向って右の輪郭に「建武元年(1334)」、左の輪郭に「十月日建口」の刻銘がある。
刻銘は浅く、肉眼ではほぼ読めない。また、輪郭内にも多数の人名らしい文字があるという。
金剛寺 宝篋印塔 (市指定文化財、南北朝時代前期)
明治二十二年(1889)、現在地に移された。
金剛寺(こんごうじ)(真言宗)
平安時代中期 承平三年(933) 高野山の僧 慈海和尚が清泰院という庵を営んだ時が始めという。
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*JR山陽本線 「柳井駅」下車、北東方向へ徒歩 約23分。
(撮影:平成26年 3月11日)