風立寺(ふうりゅうじ)宝篋印塔

 風立寺(ふうりゅうじ)(山形県山形市下東山433-1)

  寺伝によれば斉衡三年(856)慈覚大師(円仁)により開創された。天台宗の寺院。

風立寺(ふうりゅうじ)宝篋印塔(市指定文化財、鎌倉時代後期、凝灰岩、高さ 173Cm)

塔身正面、蓮華座上月輪内に胎蔵界大日の種子「アーク」を刻む
境内、阿弥陀如来堂に向かって右側の斜面に立っている 塔身西面、現地説明板によれば阿弥陀の種子を刻むとの事だが素面

笠の段型は、下は薄く三段、上は五段で、その上に側面二区の露盤をつくる。隅飾は、二弧輪郭付で横が長く外傾する

塔身背面、なにも刻まれていない
塔身東面、なにも刻まれていない 関西形式の宝篋印塔で、この時代 関西との接触が深かったことが知れる

基 礎

上端は薄く三段、側面は無地で、形は末広がりの台形

相輪は、大部分を欠失する。東北地方に珍しい大型宝篋印塔で、塔身正面のみ大日如来の種子「アーク」を刻み、大日塔として造立された

笠の隅飾り

二弧で横長、茨が頂部にある特異な形をしている。広い内部は、何も刻まれていない

  風立寺(ふうりゅうじ)石造層塔(二基)

二基の層塔、宝篋印塔の東側に二基の層塔が立っている。

現在、四層と三層の二基で、何層かは欠失する。初層軸部は角ばった球形、二層から上は各層の屋根上に上層の低い軸部をつくりだす。凝灰岩製。

  風立寺(ふうりゅうじ)板碑(室町時代)

阿弥陀堂の手前、境内に立っている。成生(なりゅう)型と呼ばれる板碑で、頭頂に肉髻形(瘤)があり、額部が突起し二条線が入る

成生庄は一向上人(時宗)が布教した関係で、板碑の種子も阿弥陀に限られた様だが、石質が凝灰岩の為、種子・銘文とも風化磨滅し、判明するものが一基もないという

 正楽寺(しょうらくじ)種子自然石塔婆(二基)                  石仏と石塔-目次!

風立寺(ふうりゅうじ) 阿弥陀堂

本尊は阿弥陀如来で、脇侍は観音菩薩・勢至菩薩

 板碑(いたび)

宝篋印塔紀年順  奈良国立博物館(はくぶつかん)宝篋印塔(鎌倉時代後期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR仙山線「高瀬駅」下車、東方向へ 徒歩 約9分。

(撮影:平成22年11月15日)