筏立(いかだち)大日・阿弥陀三尊種子板碑

 明恵紀州 筏立(いかだち)遺跡(和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字西原1103)

   明恵上人 紀州筏立遺跡に立つ。大日と阿弥陀三尊種子を主尊とする板碑で、室町時代初期 応永四年(1397)の紀年銘がある。

筏立 金剛界大日・阿弥陀三尊種子板碑 (室町時代前期 応永四年 1397年、砂岩、高さ 116Cm 幅 23Cm)

笠塔婆と宝篋印塔の後方に立つ。身部は、上方に金剛界大日種子と阿弥陀三尊種子、下方に偈(げ)と紀年銘を刻む。

島根県安来市の権現山(ごんげんやま)参道板碑(室町時代前期)も、金剛界大日種子と阿弥陀三尊種子を主尊とし、密教系と浄土系の種子が融合している。

板碑 頭部

頭部山形、下に二条線、額部は縦長で薄く突出する。

身部の種子、金剛界大日如来と阿弥陀三尊 身部下方の刻銘

身部の種子は、最上方月輪内に金剛界大日如来の種子「バン」、その下に阿弥陀三尊の種子を刻む。

阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀の種子「キリーク」、その向かって右下に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。

身部下方は、向って右側二行に四句の偈(げ)、左端に「應永四年(1397)八月十八日、時口口、敬白と刻んでいる。

若我誓願大悲中  一人不成二世願  我堕虚忘(妄)罪過中  不還本覚捨大悲

偈(げ)(出典未詳)

偈(げ):「若我誓願大悲中(にゃくがせいがんだいひちゅう)一人不成二世願(いちにんふじょうにせがん)

我堕虚忘(妄)罪過中(がだこもうざいかちゅう)不還本覚捨大悲(ふげんほんかくしゃだいひ) (三句目の忘は、妄の間違い)

[ 若し我が誓願大悲(苦しみを救う仏の誓い)の中、一人でも二世願(現世安穏と後生善処の願)をかなえられなければ、        

                                我れ虚妄罪過(嘘偽りの罪)の中に堕ちて、本覚に還らず、大悲も捨てん。]

本偈は、「宝物集に、如意輪経に云うとして引用されているが、如意輪経には出ていない」(「石仏偈頌辞典」:加藤政久 編著、国書刊行会)という。

身部 下方

偈(げ)と紀年銘を刻む。

刻銘:應永四年(1397)八月 板碑、側・背面。頭部の二条線は、側面にも及んでいる。

 善国寺(ぜんこくじ)宝篋印塔                               石仏と石塔-目次!

明恵上人 紀州 筏立(いかだち)遺跡 (華厳経 修行の地)

筏立遺跡は、明恵上人が建久九年(1198) 二十六歳の時から三年間 華厳経の教えを身につける修行を重ねた所。

西側にある平地は御厨平と呼ばれ、華厳院建久寺があったと伝える。

 板碑(いたび)

*JR紀勢線「藤並駅」下車、東南東方向へ 約8.8Km。吉原遺跡から南へ 約1.5Km。藤並駅の観光案内所で、無料レンタサイクルを借りるのが便利。

(撮影:平成25年12月24日)