筏立(いかだち)宝篋印塔

 明恵紀州 筏立(いかだち)遺跡(和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字西原1103)

   明恵上人 紀州筏立遺跡に立つ宝篋印塔で、室町時代初期 応永六年(1399)の紀年銘がある。

筏立(いかだち)宝篋印塔 (室町時代初期 応永六年 1399年、砂岩、高さ 135Cm)

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(正面、タラーク:宝生如来)
宝篋印塔は、笠塔婆の後方、一段高くなった所に立っている。 塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(西面、キリーク:阿弥陀)

段形は下二段、上六段。隅飾は二弧輪郭付で、やや外傾し内は無地。

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(背面、アク:不空成就如来)
塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(東面、ウーン:阿閦如来) 塔身は割れ、修理を施す。笠の隅飾りも二ヶ所欠損する。

基 礎

基礎上端は二段、側面は四面とも無地で、内一面に刻銘がある。

刻銘:「応永六年(1399)、己卯、十月十三日、願主比丘円則」

相輪は下から、伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠で、請花は縁取りがつく覆輪つきの単弁となっている。基礎側面 無地は、この地方に多い。

台 座

上端が複弁反花、側面は無地。

筏立(いかだち)宝篋印塔 (室町時代初期 応永六年 1399年)

 筏立(いかだち)大日・阿弥陀三尊種子板碑                    石仏と石塔-目次!

明恵上人 紀州 筏立(いかだち)遺跡 (華厳経 修行の地)

筏立遺跡は、明恵上人が建久九年(1198) 二十六歳の時から三年間 華厳経の教えを身につける修行を重ねた所。

西側にある平地は御厨平と呼ばれ、華厳院建久寺があったと伝える。

宝篋印塔紀年順  旧 海老谷(きゅうえびたに)会所跡 宝篋印塔(室町時代前期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR紀勢線「藤並駅」下車、東南東方向へ 約8.8Km。吉原遺跡から南へ 約1.5Km。藤並駅の観光案内所で、無料レンタサイクルを借りるのが便利。

(撮影:平成25年12月24日)