徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」の対面側に展示)
比企郡三保谷村(現、埼玉県川島町)に旧在した板碑で、胎蔵界大日種子を主尊とする。南北朝時代後期永徳三年(1383)の紀年銘がある。
徳蔵寺(とくぞうじ)胎蔵界大日種子板碑 (南北朝時代後期 永徳三年 1383年、緑泥片岩、高さ 82.5Cm 下幅 26Cm) |
身部は一重線の輪郭を巻き、中央の蓮華座上に胎蔵界大日如来の種子、下方中央に紀年銘、左右に各二行 光明真言を梵字で刻む。
板碑 頭部
頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。
蓮華座上に刻まれた胎蔵界大日如来の種子「ア」。 | 身部下方の刻銘 |
刻銘は、中央に「永徳三年(1383)、癸卯、六月十日」、左右に各二行 「光明真言」を刻む。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって左側列に展示)
館内では、数少ない金剛界大日種子を主尊とする板碑で、鎌倉時代後期 嘉暦三年(1328)の紀年銘がある。
徳蔵寺 金剛界大日種子板碑(鎌倉時代後期 嘉暦三年 1328年、緑泥片岩、高さ 54Cm 下幅 16Cm |
頭部山形、下に二条線、身部の輪郭はなく、中央に金剛界大日如来の種子「バン」、下方に「嘉暦三年(1328)、戊辰、九月十五日」の紀年銘を刻む。
金剛界大日如来の種子「バン」 | 刻銘:「嘉暦三年、戊辰、九月」 |
金剛界大日如来の種子「バン」は、形もよく美しい鎌倉時代後期の作品。紀年銘は、異体文字が使われている。
徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって左側列に展示)
比企郡出丸村(現、埼玉県川島村)に旧在した板碑で、二分断され上方が展示されている。胎蔵界大日種子(五点具足)を主尊とする月待板碑、唯一の例。
徳蔵寺 胎蔵界大日種子月待板碑(室町時代中期 永正六年 1509年、緑泥片岩、下方含む高さ 149Cm 下幅 35.5Cm |
頭部山形、下に二条線。身部は輪郭がなく、最上部左右に日・月、その間に天蓋(てんがい)を配し、主尊の胎蔵界大日種子(五点具足)を荘厳する。
主尊の下には、前机の卓上に三具足(燭台・香炉・花瓶)を配置、左右に「月待、供養」と刻む。月待板碑の本尊として胎蔵界大日が祀られる唯一の例。
身部 上方
天蓋の下、蓮華座上月輪内に刻まれた胎蔵界大日如来(五点具足)の種子「アーンク」。
身部 主尊の下
前机に敷布を掛け、卓上に三具足(燭台・香炉・花瓶)を配置、その左右に「月待」、「供養」と刻む。
尚、二分断された下方に「口口口年、己巳、十一月廿三日」、その左右に「六郎、孫三郎、彦二郎」、
「口、口口口口口」の交名が刻まれている。また、不明の年号は、干支と作風から「永正六年(1509)」と推定されている。
「元弘の碑」の対面側、展示の一部
向って左から、康応二年(1390)銘阿弥陀種子板碑、観応二年(1351)銘阿弥陀種子板碑、本 大日種子板碑、文永三年(1266)銘阿弥陀三尊種子板碑。
尚、左側の阿弥陀種子板碑二基には、観無量寿経に出る 光明遍照 偈(げ)が刻まれている。
*西武新宿線「東村山駅」下車、北方向へ徒歩 約16分。徳蔵寺板碑保存館の板碑群は、整理が行き届いており、ここを拝観するだけで武蔵型板碑の概観を知ることができる。ぜひ、一見をお勧めしたい。(月曜日休館、拝観料 200円)。このページは、大日種子を主尊とする板碑を紹介しています。
(撮影:平成25年3月6日)